随分と凝った映画作りで、映画オタクのための映画とも言えるぐらいの重層的な造り込みだ。何と、この映画は人間が死ぬ時に思い浮かべるタラレバの世界を何通りも映像化して見せるのである。
例えば、最初は結婚を繰り返しているのかなあと思っていたら、それらはタラレバの世界なのである。しかも自分の幼児の両親の離婚もタラレバしているので輻輳しており、一体全体(数えてはいないけれども)何通りの人生を映像化しているのだろうなあと思ってしまう。
しかし、映像はいたって美しく、またオタク好みの洗練されたものなので不思議と退屈はしない。通常こういう作品は作者の思い込みと観客との接点がかなり遊離してしまうものだが、【ドルマル】は観客におもねているのだろうか、意外と分かりやすく映像化しているので僕たちが混乱することはない。ある意味映像のマジックとでも言うべきテクニックが駆使されているので見ていて実に楽しいのである。
しかし、冒頭の不死の世界に一人だけ死ぬことができる老人の死の瞬間を現生の人間たちが興味深く見ているという設定は、そもそもどういう意味をなすのか、それははるかかなたに投げられてしまい、(死ぬことのなくなった世界にどういう意味があるのかを僕は知りたかったわけだが)映画は時間を遡る老人の走馬灯の世界に入り込むのだった。
何通りも生きるある男の人生にどれだけの意味があるのか僕には分らないが、現在に生きている僕たちからすれば、彼の幾通りの人生は(冷たい言い方だろうが)ただの通りすがり或いは眺める対象物でしかない。何故ならそこには彼の死がないのだから、、。
そう、彼の死を知った不死の人間たちが何を考え、それに彼らがどう反応するのかはこの映画には描かれていない。僕の知りたかったのはたぶんそういうことだろうと思う。確かに贅沢な俳優陣と斬新な脚本、それに洒落た映像が僕たちの目の前に展開されているが、それらはどれが真実なのかなんてことは意味を成さないし、意外とその人生は僕にとって軽い気もするのである。
まあ、2時間強の上映時間にもかかわらず、こういう映画にはつきものの催眠状態から逃れたのは事実であり、かなり娯楽性のある映画だと思う。なんと言うか、ぴしゃっと冷水で頭をぶっかけられる人生の真実のようなものを僕はこの映画から感じ取りたかったのだ。
でもそんなことは僕自身のことであり、【ドルマル】には関係のないことなのかもしれない。この映画、客観的に考えても秀作ということに全く異論はありません。この映像からして、彼は優しい人柄なのかもしれませんね、、。
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