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シークレット・サンシャイン (2007/韓国)(イ・チャンドン) 80点

2008-06-13 11:11:03 | 映画遍歴
「神の不在」をストレートにテーマ化した映画ではないだろうが、最近はこの手の映画は途絶えていたと思う。2時間を越える長丁場の映像ではあるものの、持ち応える映画の力はさすがであり、十分観客の思考を回転させてはくれるが、完成作とは思えない苛立ちが残滓として付着し浮遊しているのも感じられる映画ではある。

シークレット・サンシャイン、女が子供を連れて元夫の生地に移り住んだ地名の英語名であるが、女が神の存在を信じ始めてから常に天上を気にする仕草からいわゆる神そのものを暗示している。

女は子供を誘拐され直ちに殺害され、その喪失感から自分が救われたいと願う。神の存在を意識することで救われたと思うようになるのだが、殺害犯人が自分が赦す以前に既に神により赦され苦しみから解放されていたことから神の存在自体を疑うようになる。

ここがこの映画の最大ポイントなのだが、神がすべての人々に公平で赦しを与えることに女は不快を覚えている。つまり女は「神を信じるに至った被害者の家族が加害者を赦すという行為」のあと、加害者が初めて赦されると思ったのである。すなわち「自分があたかも神であるような」行為をしようとしたのであろうか、、。

子供が殺害されるといった最悪の不幸に遭遇した人間に対して、傍観者である人間は同情することはあっても実際何もすることは出来ないであろう。時間の積み重ねがあっても決して癒されることはないとよく聞く。

女は不動産を購入するふりをして、いかにも資産がありそうな行動を取っていたのがこの事件の直接要因であることを認識しているはずだ。ある意味、残酷ではあるが女が原因を作ったのでもある。そういえば、少女がヤンキーにゆすられているのを見ても彼女は何もしなかった。少女を見捨てていた。

映画は密陽市(シークレット・サンシャイン)に来て初めて出合った親切な男が実際は神(シークレット・サンシャイン)のような存在でもあるのだと暗示させてこの暗く重いテーマを閉じるが、救いが女に訪れるかどうかは分からない、、。

チョン・ドヨンはまさに演技賞ものの迫真の演技。ノーメイクのようにも見えたけど女優根性が凄い。受け役で本当に鈍い陽光が漂うようなシークレット・サンシャインを表現したソン・ガンホはまたまた新境地。この俳優はどこまで進化するのだろう、、。

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