何気ない日常と見えなくもない女性だけが住んでいるある家の一日。洗濯物を取り込むシーンから始まる.。それはどこにでもある光景だ。そして吹奏楽の話。聖者の行進。聖者とは誰だ。奥歯が氷を噛んだとたん抜けてしまった女性。
しかし、観客はそれらがこの世の果てのような地獄空間の始まりであったことにじんわりと気づいてゆく、。
若い男がいないのだという。女性たちは子供を産むことが出来なくなっている。放射能の濃度を計算しながら日常を生きるもどかしさ。哀しさ。そして絶望感。
このままこの国に生きて、残り少ない命の灯をひっそりと覆うようにただ生きてゆくような日常を是認するのか、またその中に生きることの意味を見出すことが可能なのか、彼女たちはもがくように確かめる。
女性だけの劇である。この家にも、外にも男はいないのだ。みんな戦争に刈り取られて戦地に出奔している。彼女たちには希望はないかのようだ。けれど光を、それでも求めている。
こんな国を見捨てて、ここにはないどこかへ逃亡しようとする女性もいる。でもそんなことが一体全体可能なのか。逃げるのだから、レジスタンスでもない。この世界は汚辱にまみれているから、まだ見ぬ世界を目指すのだという。
どちらにしても彼女たちは生きている。生きてゆく。だって、それが人間の本質的な生業なのだから。どこにいても、どんな環境に置かれても、それなりに生きる喜びは見いだせるはずだと、この女性5人組(体制的には江戸時代に戻っているかのように自由はない)は語る。
核戦争後の人間のなれの果てを瞬時、垣間見た感じもするなあ。もうその現実の生々しさに、今我々が生きている、このだらけた、つまらない日常さえ、狂的にいとおしく思えてくる。
彼女たちのやさしさの、透き通る純度が高ければ高いほど、この劇のテーマの奥に潜む平和への想いを強く感じる。そして、それから静かにこの劇を見終わる。
怖いけれども、優しい劇なのである。目を背けたいほどの現実があったとしても、それでも人間は生きてゆけるのだ。それが人間の営みなのではあるまいか。でも、どんな場合にせよ、希望だけは失うことがあってはならない。希望がないと人間は生きることはできないものなのだから、、。
感動! いつまでも忘れることのできない演劇となろう。
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