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SOMEWHERE (2010/米)(ソフィア・コッポラ) 70点

2011-04-07 13:47:43 | 映画遍歴

somewhere over The rainbow「虹の彼方に」というすぐ口ずさむ歌があるけど、この映画は「どこか」というだけで、現在いるところは虹ではなさそうだ。

冒頭、同じ道路をぐるぐる3~4周まわる高級車。何分間か、観客はそれだけを見させられて忍耐力を養わされる。苦痛の時間。やっと、止まって降りて来たと思ったらロングショットで中年風のサングラスのくたびれた感のする男が一人。

男は疲れ切っているらしい。映画スターなのか、かなり人気者らしい。ただ、冒頭の長い車の描写といい、この映画の映像は展開が俗世間からかなり遊離はしているものの観客に無理を強要している。

例えば、離婚後の娘と久々に会え、娘がフィギアスケートを演じているシーンもメチャ退屈。親であれば興味深々と見れるが、何が楽しくてへたくそなフィギアを観客が見なければならないのか。そのフィギアシーンは延々と続く。この映画、ほとんどのシーンが実はそういう作者の意図が見られ、観客は忍耐力を強要されている。

スターにも孤独を感じる人はいるだろう。当たり前のことではないのか、と言いたい気もする。スターでも、一介の労働者でも、そこらの子供でさえみんな人間は孤独なのである。『ロスト・イン・トランスレーション』では盛りを過ぎた中年男の孤独にTOKYOを配し、見事、心に入り込んでいたが、この作品では主人公の中身に距離を置いているためか、どうも空虚で長い描写の羅列にだんだん僕はイライラを呈することになった。

ラスト近く、男の心の苦しみのような遠吠えが何の前触れもなく突如画面を覆うが、少々違和感を伴うものであった。ラストの、冒頭と対比させた車の、また長い描写。そして急に止まり、歩き出す男を背中に映しこの映画は終わるが、もうかなりこの映画に距離を持って見ている僕は前向きかもしれない男の歩行にさえ「勝手にしたら」という独り言をつぶやくのみ。

ひょっとしたら、娘の視点から見た方がこの映画は面白いのかもしれないが、同衾した女との3人での朝食シーンもわざとらしいし、僕には【ソフィア・コッポラ】が全く別の人間に思えてきた。観客に忍耐力を要請するのならそれに値する見返りが欲しいと思う。 今までの映画作家は皆そうしてくれたような気もするが、、、。


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