音楽はない。聞こえてくるは森の囁き、日常の小さな音、そしてセリフはほとんどなく、どこか桃源郷を思い起こさせる作品だ。その、映像のみで緩やかに語ってゆくスタイルはまさに映画の本質を現代において問っているようだ。
絵画のような映像だ。しかしコローの絵画を少し濃くしたような、いわばちょっと煮詰めたような色彩で、現像処理だろうか、フィルム自体が違うのだろうか、その色合いの違いに少々たじろぐ。
映画の作品としてはまるで宗教画の世界を映像化したような幽玄の世界にまで入り込んでおり、レベルがこの上なく高いのに気づかされる。
まるで現代から遊離したかのような日常の営みをじっくり描いている。蜂蜜を求めて森の奥に入ったまま戻らない父親を待つ少年、そして母親。映像は哀しみをさえ自然と一体化させ融解してしまう。
人間とは自然の一部なんだということがこの映画を見ているとよくわかる。文明から離れたところにいる人間たちにとって自然こそが脅威であり、そして糧であるのだ。
この映画は現代人にとって一種の文明論と言っても過言ではないと思う。いずれ人間は土に、自然に戻ってゆく存在なのだ。そんなことを午後の睡魔と闘う茫洋とした脳裏は僕に伝えてくれる。
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