指宿市十二町に橋牟礼川遺跡があります。
大正7,8年に発掘調査が行われ、地層の上下関係により、縄文式土器が弥生式土器より古いものであることが始めて明らかにされた遺跡です。
大正13年に、国指定遺跡に指定されました。
橋牟礼川遺跡は縄文時代以降、開聞岳の噴火により4回の災害を受けたことが明らかになっています。
特に、西暦874年の噴火による火山灰の下からは、ほぼ完全な形で集落が発掘されました。
このため、日本のポンペイと呼ばれることもあります。
鹿児島市が東洋のナポリを形容されますが、鹿児島にはポンペイもあるのですね。
橋牟礼川遺跡。
左向こうにある建物は、この遺跡の考古博物館であるCOCCO(ココ)はしむれ。
大正7,8年に発掘調査が行われ、地層の上下関係により、縄文式土器が弥生式土器より古いものであることが始めて明らかにされた遺跡です。
大正13年に、国指定遺跡に指定されました。
橋牟礼川遺跡は縄文時代以降、開聞岳の噴火により4回の災害を受けたことが明らかになっています。
特に、西暦874年の噴火による火山灰の下からは、ほぼ完全な形で集落が発掘されました。
このため、日本のポンペイと呼ばれることもあります。
鹿児島市が東洋のナポリを形容されますが、鹿児島にはポンペイもあるのですね。
橋牟礼川遺跡。
左向こうにある建物は、この遺跡の考古博物館であるCOCCO(ココ)はしむれ。