種子島の西之表にある榕城小学校は、種子島氏の居城の跡です。
右が榕城小学校、左が榕城中学校。
狭い小路や石垣に、昔の城下の面影を残しています。
1624年、第17代島主種子島忠時が、現在の榕城中学校から榕城小学校に城を移し、1869(明治2)年の版籍奉還まで約250年間、居城として使われていました。
城にはアコウの木がうっそうと茂っており、このため赤尾木城(あかおぎじょう)と呼ばれていました。
榕城小学校の榕はアコウのことです。
当時のアコウが、校庭の隅に1本だけ残っています。
案内看板によると、樹高15m、枝張り20m、幹回り5m、樹齢400年以上です。
城の歴史や榕城小学校の子供の成長を見守ってきたことでしょう、。
右が榕城小学校、左が榕城中学校。
狭い小路や石垣に、昔の城下の面影を残しています。
1624年、第17代島主種子島忠時が、現在の榕城中学校から榕城小学校に城を移し、1869(明治2)年の版籍奉還まで約250年間、居城として使われていました。
城にはアコウの木がうっそうと茂っており、このため赤尾木城(あかおぎじょう)と呼ばれていました。
榕城小学校の榕はアコウのことです。
当時のアコウが、校庭の隅に1本だけ残っています。
案内看板によると、樹高15m、枝張り20m、幹回り5m、樹齢400年以上です。
城の歴史や榕城小学校の子供の成長を見守ってきたことでしょう、。