昨日紹介した「俊寛之碑」から、天文館のアーケード街へ向かいます。
鹿児島一の繁華街、天文館のアーケード街(天文館本通)。
電車通りから、照国神社に向かう通りです。
いつも人通りでいっぱいです。
ここに、天文館跡の碑があります。
アーケード街の道路脇にある天文館跡の碑。
1779年、第25代島津重豪は、天文観測や研究のため、ここに明時館を建てました。
藩内の暦は、全てこの明時館から配布し、薩摩暦とか鹿児島暦と言われました。
明時館は別名天文館と呼ばれ、今の天文館の地名の由来となりました。
この付近は、鶴丸城からも近く、石垣をめぐらせた武家屋敷や、迎賓館に当たる御着屋や花岡屋敷などがあったところです。
今はネオンきらめくこの場所も、当時は天文観測ができるほど暗かったわけです。
天文館跡のプレート。
鹿児島一の繁華街、天文館のアーケード街(天文館本通)。
電車通りから、照国神社に向かう通りです。
いつも人通りでいっぱいです。
ここに、天文館跡の碑があります。
アーケード街の道路脇にある天文館跡の碑。
1779年、第25代島津重豪は、天文観測や研究のため、ここに明時館を建てました。
藩内の暦は、全てこの明時館から配布し、薩摩暦とか鹿児島暦と言われました。
明時館は別名天文館と呼ばれ、今の天文館の地名の由来となりました。
この付近は、鶴丸城からも近く、石垣をめぐらせた武家屋敷や、迎賓館に当たる御着屋や花岡屋敷などがあったところです。
今はネオンきらめくこの場所も、当時は天文観測ができるほど暗かったわけです。
天文館跡のプレート。