種子島の西之表市役所の近くに、栖林(せいりん)神社があります。
この神社は、第19代島主種子島久基を祀る神社で、松寿院が建立しました。
久基は、前回紹介したように、日本で最初に甘藷を栽培させた人です。
このため、栖林神社は、からいもの神社とも呼ばれています。
(栖林は、久基の晩年の号)
栖林神社。
社殿の隣にある弓道場。
ここでは、毎年1月11日、鹿児島県指定文化財の「大的始式」が行なわれます。
第12代島主種子島忠時が、弓の指南役として招いた武田筑後守光長が、宮中行事「御的始式」を伝えたのが始まりとされています。
的にめがけて36本の矢を射り、満つれば欠けるの戒めにより、最後の1本は故意にはずします。
弓道場の隣には、種子島家の墓地があります。
これは女性島主だった松寿院の墓。
とりわけ立派な墓です。
右から3番目は、鉄砲伝来のときの島主、種子島時尭の墓。
種子島家の島主の中で最も有名ですが、意外に小さな墓です。
この神社は、第19代島主種子島久基を祀る神社で、松寿院が建立しました。
久基は、前回紹介したように、日本で最初に甘藷を栽培させた人です。
このため、栖林神社は、からいもの神社とも呼ばれています。
(栖林は、久基の晩年の号)
栖林神社。
社殿の隣にある弓道場。
ここでは、毎年1月11日、鹿児島県指定文化財の「大的始式」が行なわれます。
第12代島主種子島忠時が、弓の指南役として招いた武田筑後守光長が、宮中行事「御的始式」を伝えたのが始まりとされています。
的にめがけて36本の矢を射り、満つれば欠けるの戒めにより、最後の1本は故意にはずします。
弓道場の隣には、種子島家の墓地があります。
これは女性島主だった松寿院の墓。
とりわけ立派な墓です。
右から3番目は、鉄砲伝来のときの島主、種子島時尭の墓。
種子島家の島主の中で最も有名ですが、意外に小さな墓です。