前にひぐらし掲示板が「壮大な思考実験場」であったと書いたが、その他にも「レッテル貼り」という行為も見られた。今回はこれについて簡単に述べたい(これは物事の評価方法一般に適用できるが、特に歴史上の人物や出来事への評価に当てはめてみるとおもしろい)。
まずは目明し編当時の具体例。
「私はレナが良い子だと思いたいので、鬼隠し編の最後とかは圭一の勘違いだと考えたいんですよね。」
当時はこんなことを言 . . . 本文を読む
前回の「ひぐらし:戦闘力の妥協点[子供編]」では、よく指摘される圭一たちのありえない強さについて考えた。そしてひぐらしにとって致命的だったのは、祟編の圭一の回想という客観的な突っ込みどころを残してしまったことであると指摘した(これは漫画版にも掲載されているため、言い訳は困難だろう)。もしそれが無ければ、「特殊部隊より強いことはありえないだろう」という(まことに妥当な)批判も、最終的には印象論のレベ . . . 本文を読む
ここに書かれた考察対象(「人為100%」という思考の枠組み)を、「~主義」やら宗教に置き換えてもそのまま当てはまる。それこそが、ひぐらし掲示板を「壮大な思考実験場」と私が評す所以である。
ひぐらし公式HPの掲示板は、かつて壮大な思考実験場であった(現在では掲示板の形も趣旨も若干変わっているが)。それは、単に色々な人がそれぞれの説をぶつけ合う場だったという意味ではく、もっと一般的に、人の思考様 . . . 本文を読む