ホロライブの儒烏風亭らでんはサブカルチャーとハイカルチャーの橋渡しをする逸材だ、という話は何度かしてきたが、今回はその最後の覚書となる。単なる記号的理解を超えて、ある種の体系を考えること、あるいは越境的に考えるきっかけをハードルが高くならない形で提供してくれる存在は極めて重要、という話。
【覚書4】
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昨日書いたのは、成熟社会になったことによる価値観の多様化で、日本語や日本的コミュニケーションが機能不全に陥る必然性についてだった。今回はその一つとして、すでに何度か書いた「男性は女性に奢るべきか」という議論に触れてみたい。
ところで、前回の日本語と英語の論理構造の話に寄せて書くなら、まず主観を述べただけでは相手を納得させることはできない、ということだ。こう言うとかなり抽象的に聞こ . . . 本文を読む