戦前の超国家主義者と戦後の非武装中立論者は、全く異なる思想を持っているように見えて、盲目的な精神主義者という点で同根なのであります(ヴァイツゼッカー風にw)。
・・・という話を繰り返すのも芸がないので、今回は孫子の兵法という対照的なエートスを紹介することにしたい。
孫子の思想に関しては、すでに「孫子と戦略的思考」および「合理的・功利的思考とは何か」でも触れているので詳しくは繰り返さないが、寡兵で大群を倒すなどという思想ではなく、「戦略的に生き残るにはどうすればよいか?」という根本原理が貫かれている(これと「一億総玉砕」なる妄言を比べてみるといい)。孫子は、戦争というもののリスクを深く理解している。それは、目の前の敵に勝ったとしても国力は疲弊するわけで、その隙に第三国に攻められるといったリスク、戦費増大による経済的圧迫が重税となって国内の不満を増大させるetc...といった諸問題へと繋がっていく。
具体性に乏しいので例を挙げてみよう。前漢の武帝は領土を大きく広げた皇帝として有名だが、それによる財政の圧迫が五銖銭の鋳造や塩・鉄・酒の専売制へと繋がった。そして漢は衰退へと向かっていく。あるいは、非ムスリムへのジズヤを復活させてラージプート族などとの戦争に明け暮れつつ領土を広げていったアウラングゼーブ帝はどうであったか?結局は財政を破綻させて帝国を衰退に導いたのだ。彼らのように、「最大版図」を築いた君主は教科書的には華々しい存在として印象に残るが、その後政権がどのような状況に陥ったかを見れば、孫子の言が的を射ていることを認めざるえないだろう(という歴史の教訓からしても、領土を急速に拡大したことで舞い上がった旧日本軍やナチスドイツの愚かさが、より客観的に理解できるはずだ)。
以上のようなわけで、今から2000年以上も前に、孫子は「戦わずして勝つ」と述べたり、また「戦争<外交」という見地に立つがゆえに「彼を知り己を知れば百戦殆うらず」と言い、インテリジェンスを重要視するわけである。さて、かつての日本を笑うのは簡単だが、我々はそれを教訓とできているであろうか?たとえばアメリカについて、どれだけ多くの日本人がその特性を理解できているのであろうか?あるいは中国については??
ということで、以下の動画も紹介しておきたい。
外交というものが極めて重要になる以上、相手の直接的な利害だけでなく、エートス(行動原理・行動パターン)を理解せねばならないことは言うまでもない。つまり、「アメリカさんありがとう」も「鬼畜米英」もともに論外であって、相手の特性を理解した上でどう自分の利益を最大化するかが重要なのである。そのような意味において、動画のコメント欄にも見られるが、アメリカの宗教状況に対する無理解ぶりはいささか驚きに値する。というのは、アメリカにバイブルベルトと呼ばれる内陸部の(日本風に言えば)篤信地帯が存在する一方、人の出入りの多い沿岸部は宗教色が薄く、それが共和党・民主党の支持層の偏りとも深く関係している(トランプとヒラリーの選挙戦で登場したどちらの党の支持が強いかの色分けを思い出す人もいるだろう。なお、福音派と呼ばれる聖書に書いてあることがそのまま正しいと考える人々がアメリカの人口の3割もいるのに、科学技術は最先端という二重性も、こういった地域性を抜きにしては考えられない)。このような特性を理解していれば、「シリコンバレー在住だが周りに教会に行く人が少ない」などと困惑したコメントを残すはずもないのだ(ちなみにカリフォルニアもずっと前から宗教色が薄かったわけではなく、同性愛を公表しつつ知事となったハーヴェイ=ミルクの時代には、熱心なカトリックであったヒスパニック系の移民たちが多くいて、彼らは同性愛に反発する者が多かった)。アメリカの政治家のスピーチには「God bless America.」なる言葉が登場するように、アメリカをただ「先進的で多様性を認める国」などとみなしているのであれば、それはアメリカを半分も理解していることにはならない。
というわけで、かつての日本を真に教訓とするのならば、つまり戦略的思考が重要だという立場に立つのなら、アメリカについてはどれだけ深く知っても知り過ぎることはない。逆に言えば、そういうエートスに基づいて行動しないのならば、戦前の日本を笑う資格などない、と言っていいだろう。そしてそれは、軍事やインテリジェンスについても全く同じことが言えるのである(たとえば「平和主義でいきたいから軍事のことはさっぱりわからん」という態度を取るのであれば、それは真に平和を成し遂げたいのではなく、「平和主義」という言葉に精神的に引きこもって思考停止してるだけである=まさに言葉の自動機械!)。
というあたりで本稿を終えることとしたい。
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