君が望む永遠DVD SpecifictionがCD-Rom版と比較してどのように変わったか、またそれによってよくなった具体的な部分については既に述べた。よって今回は、変更されて悪くなった点、すなわち新シナリオの追加に関して書いていこう。
そもそも君望は無駄な部分が多く、何かを追加するより削るほうが重要なゲームである(詳しくは別の機会に述べるつもりだが、とりあえず第二章で挿入される遥と付き合っていた頃のエピソードなどが例として挙げられる)。もちろん、新しい要素の追加が、半ば必然的なものであることは理解できる。新しくDVD版を出すというのにマイナーチェンジではインパクトに欠けるからだ。しかしながら、そのために付け加えられたものが蛇足とも言うべき内容であるのは事実。それくらいなら、孝之の性格の由来(友達を大切にする理由など)を描いたり、蛍シナリオをどうにかする方がよっぽど優先事項だろう。というわけで、以下で新シナリオに関する批判を書いてみる。
(新穂村エンド)
アノ穂村にハッピーエンドが!まあ旧版のエンディングがあまりにもアレだったため追加されたと思われる。でもぶっちゃけいらなくねえ?というのがプレイした感想。穂村にハッピーがあるなら、何で大空寺や玉野にはないのだろうか?遥・水月・茜というメインの三人を除いたキャラのエンドは、(蛍というわかりやすい例外を除いて)全て「終わりを迎える日まで」という明確なバッドエンドとして位置づけられていた。だからコンセプトがわかりやすかったのだ。つまり、メインヒロイン以外のキャラでのエンディングは何であれ「バッドエンド」なのだ、と。
にもかかわらず、DVD版はそこに穂村ハッピーという「異分子」を持ち込んでしまった。これによってハッピーエンドの基準が不明確になり、その結果として作品の方向性もボヤけたものとなってしまっている。少し詳しく述べると、「苦しみを共有できれば誰でもいいわけ?」という疑問に繋がるのだ。一方旧版のハッピーエンドはメインヒロインのみだけだったから、遥・水月というニ項関係から逃れてのハッピーはありえないという方向性がハッキリしていた。
ここで「茜はどうなるんだ?」という反論があるかもしれない。確かに茜は二項関係から厳密には外れており、ハッピーエンドでも水月のケアは疎かであるように思える。しかしながら彼女は、遥・水月と密接な結びつきがあり、遥の見舞いといった苦労を孝之と共にしている。だから、ニ項関係から外れていると言うよりも、物語のコンセプトとして茜までは許容範囲なのだと違和感なく受け入れることができるのである。
その点穂村は、茜と全く比較の対象にならない。彼女は所詮高校時代に少し知っており、一方的に好意を持っていたという間柄に過ぎない。その気持ちが孝之の逃げ場としての役割と相まって暴走するのはわかるとしても、こと彼女とハッピーエンドを迎えるという段階に到っては全く意味不明である。
穂村ハッピーエンドが作られた理由がユーザーの希望によるのか製作サイドの意図なのか、それは判然としない(おそらく両方)。しかしいずれにしても、このエンディングを入れてしまったことでハッピーエンドのマージナリティという本作において重要な、非常に重要な部分がぼかされてしまったのは事実。あまりに酷いエンディングだから救済してあげたかった、という気持ちがあったかもしれない。しかしそれは、ファンディスクあるいは二次創作として作るべきだった。
細部へのこだわりで全体の有機的な繋がりを駄目にしてしまった典型例と言える。
※何をテーマとして盛り込むかというのと同じくらい、何を削るのかという作業が重要である。枝葉への過ぎたこだわりは無駄を増やすだけでなく、全体の統一性・バランスをも崩壊させてしまうのだから。
そもそも君望は無駄な部分が多く、何かを追加するより削るほうが重要なゲームである(詳しくは別の機会に述べるつもりだが、とりあえず第二章で挿入される遥と付き合っていた頃のエピソードなどが例として挙げられる)。もちろん、新しい要素の追加が、半ば必然的なものであることは理解できる。新しくDVD版を出すというのにマイナーチェンジではインパクトに欠けるからだ。しかしながら、そのために付け加えられたものが蛇足とも言うべき内容であるのは事実。それくらいなら、孝之の性格の由来(友達を大切にする理由など)を描いたり、蛍シナリオをどうにかする方がよっぽど優先事項だろう。というわけで、以下で新シナリオに関する批判を書いてみる。
(新穂村エンド)
アノ穂村にハッピーエンドが!まあ旧版のエンディングがあまりにもアレだったため追加されたと思われる。でもぶっちゃけいらなくねえ?というのがプレイした感想。穂村にハッピーがあるなら、何で大空寺や玉野にはないのだろうか?遥・水月・茜というメインの三人を除いたキャラのエンドは、(蛍というわかりやすい例外を除いて)全て「終わりを迎える日まで」という明確なバッドエンドとして位置づけられていた。だからコンセプトがわかりやすかったのだ。つまり、メインヒロイン以外のキャラでのエンディングは何であれ「バッドエンド」なのだ、と。
にもかかわらず、DVD版はそこに穂村ハッピーという「異分子」を持ち込んでしまった。これによってハッピーエンドの基準が不明確になり、その結果として作品の方向性もボヤけたものとなってしまっている。少し詳しく述べると、「苦しみを共有できれば誰でもいいわけ?」という疑問に繋がるのだ。一方旧版のハッピーエンドはメインヒロインのみだけだったから、遥・水月というニ項関係から逃れてのハッピーはありえないという方向性がハッキリしていた。
ここで「茜はどうなるんだ?」という反論があるかもしれない。確かに茜は二項関係から厳密には外れており、ハッピーエンドでも水月のケアは疎かであるように思える。しかしながら彼女は、遥・水月と密接な結びつきがあり、遥の見舞いといった苦労を孝之と共にしている。だから、ニ項関係から外れていると言うよりも、物語のコンセプトとして茜までは許容範囲なのだと違和感なく受け入れることができるのである。
その点穂村は、茜と全く比較の対象にならない。彼女は所詮高校時代に少し知っており、一方的に好意を持っていたという間柄に過ぎない。その気持ちが孝之の逃げ場としての役割と相まって暴走するのはわかるとしても、こと彼女とハッピーエンドを迎えるという段階に到っては全く意味不明である。
穂村ハッピーエンドが作られた理由がユーザーの希望によるのか製作サイドの意図なのか、それは判然としない(おそらく両方)。しかしいずれにしても、このエンディングを入れてしまったことでハッピーエンドのマージナリティという本作において重要な、非常に重要な部分がぼかされてしまったのは事実。あまりに酷いエンディングだから救済してあげたかった、という気持ちがあったかもしれない。しかしそれは、ファンディスクあるいは二次創作として作るべきだった。
細部へのこだわりで全体の有機的な繋がりを駄目にしてしまった典型例と言える。
※何をテーマとして盛り込むかというのと同じくらい、何を削るのかという作業が重要である。枝葉への過ぎたこだわりは無駄を増やすだけでなく、全体の統一性・バランスをも崩壊させてしまうのだから。
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