「君が望む永遠」の評価から見える思考的閉塞

2010-10-14 18:27:41 | 君が望む永遠
かつて「エロゲーにもエロゲーマーにも期待できない」という記事でも述べたが、このブログでは「沙耶の唄」、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」など様々なエロゲーを傑作として繰り返し取り上げてきたものの、それをもって「エロゲー」そのものやそのプレイヤー(たち)を特権化するつもりは全くない(その記事が「エロゲーなんかにハマっているわけじゃないよ」という言い訳だと感じた人がいるかもしれないが、それならわざわざ「褐色症候群L4」のような記事を書くものであろうか?)。そのことをより具体的に論じたのが「恋愛ADVの主人公が鈍感である理由」や「客体化という名の錯誤」だが、要は登場人物たちがあからさまにおかしな言動や行動をするためプレイヤーは「こんな反応ありえね~」といった形でネタにすることが容易であり、それゆえ「わかってやっている」というエクスキューズのもと心地よくゲームに埋没することが可能になっているということであった(彼らに「こんなものは荒唐無稽だ」とか言っても効果が薄く、また彼らの「わかってやっている」という言辞に大した意味がない所以である)。


念のために言っておくが、私はネタにすることそのものに批判的なわけではない(むしろ悪ノリする方かもしれない)。それにもかかわらず厳しい批判を展開してきたのは、「君が望む永遠」の主人公に対する愚鈍としか言いようのない評価群を見て、そのネタが上辺だけのものであり、それによって普段は信条や嗜好が隠蔽されているだけで、ネタにできないものを見たら噴き上がるだけだということがわかったからだ。


具体的に説明していこう。そこでは彼が「ヘタレ」だと批判されているのだが、具体的な根拠は全く書かれていないものの、おそらく彼が相手を選べないことが主要因だと推測できる。このような評価に対してはじめ私は本編の描写を取り上げて批判を加えてきたのだが、最も本質的な問題は、最近の「『ヘタレ』と自己認識」で述べたように、プレイヤーたちが虚構のキャラ選びに迷うという自らの行為をきれいさっぱり忘れてベタに不快感を表明しているという事実に他ならない。というのも、彼らが「わかってやっている」だとか「戯れ」どころか、自分たちが何をやっているのかさえ全く理解していないことを示しているからだ。その見事なまでの埋没ぶりが、驚くべき恥知らずな言動を可能にしているわけである。もう少し別な表現を用いれば、彼らは物語内容のレベルでは相手の文脈に立って思考することができておらず、ありえない選択肢を選んだ=共犯関係というメタレベルについても無頓着で、さらには自分が恋愛ADVをプレイしていることについてさえ意識していないのである(難解な比喩や演出、人間関係など全くないにもかかわらずだ)。


これほどの思考的閉塞を前にすると、「わかってやっている」という言辞は単に失笑モノでしかないが、そんな連中が「共感」という言葉を自己正当化のツールとして使っていることには危機感を抱かざるをえず、それが「『共感』の問題点」へと繋がった次第だ。もっとも、これとて人によって反応に差があるなら(あまり好きな表現ではないが)「踏み絵」として見ることもできただろう。しかし残念ながらと言うべきかは難しいところだが、レビューの内容を「あくまで感想なので」と断わっている人も割と考察っぽいレビューを書いている人もおしなべて同じような書きかた(評価)をしていたのであった。それまで私は「わかってやってる」というシニカルな態度を特別信用していたわけでも懐疑的な視点で見ていたわけでもなかったが、とりあえずそれ以来一切信用しなくなったのは以上のような事情による。


このような評価を見て、彼らの思考的閉塞(ベタにネタ)、あるいは「ダメさ」にこそ可能性を見出す人がいるかもしれない。しかし残念ながら、私が言っているのは彼らの特異性ではないのだ。先の「『ヘタレ』と自己認識」で述べた援交オヤジの話、同草稿におけるクーラーをつけながら現代文明批判の本を読む行為、「人間という名のエミュレーター」で書いた自分には全く関係ないという帰属処理の仕方、先の「『共感』の問題点」で書いたノイズはの排除とノイズ耐性の低下、「うみねこのなく頃に」で書いた自分の嗜好とあるべき姿を混同した作品の評価の仕方(それを明確に分かつことなどできないという断念は必要不可欠)、そして「覚書:偶然性、再帰的思考、快―不快」で書いた枠組みetc...と様々書いてきた話に共通するが、彼らの思考的閉塞はむしろ凡庸な、余りにも凡庸なものであって、ただその表れ(方)に違いがあるだけにすぎないのだ(ここで「オタク」の保守性といった言葉を思い出すこともある程度は有意義だろう)。要は、それを突き詰めれば新たな地平が開けるということもなく、結局は閉塞しかないということである(まあジャンクは死ぬまで生みだし続けられるだろうが)。


私が「エロゲーにもエロゲーマーにも期待できない」という記事を書いたのは以上のような認識を背景としているが、彼らには知識や能力ではなく、内省と遡行(再帰的思考)が決定的なまでに欠落しているのであり、かつそのような思考様式はかなりありふれたものであるように思われる(ちょっと方向性は違うが「犯人に告ぐ:システムとの向き合い方」も参照)。次回は、覚書を参照しながら改めてこの思考的閉塞について考えていきたい。

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