前に友人が読書会やろーぜーと言ってたのを、まあやれるといいねぐらいの感じだろうと軽く捉えてたら、ガチなLINEがきてアヘ焦った。
(以下引用)
以下候補。
001 マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日」
002 ホイジンガ「中世の秋」
003 デカルト「方法序説」
004 ホフスタッター「アメリカの反知性主義」
005 マクルーハン「グーテンベルクの銀河系」
006 ヘーゲル「法の哲学」
007 ウェーバー「法社会学」
008 モンテスキュー「法の精神」
009 トクヴィル「アメリカのデモクラシー」
010 ハート「法の概念」
011 大塚久雄「信仰と社会科学のあいだ」
012 荻生徂徠「政談」
013 川島武宜「科学としての法律学」
014 小林秀雄「本居宣長」
015 中江兆民「三酔人経綸問答」
016 湯川秀樹/梅棹忠夫「人間にとって科学とはなにか」
017 中根千枝「タテ社会の人間関係」
018 鈴木大拙「禅」
019 丸山真男「日本の思想」
020 吉本隆明「共同幻想論」
021 ウォーラーステイン「近代世界システム」
022 シュンペーター「資本主義・社会主義・民主主義」
023 マングェル「読書の歴史あるいは読者の歴史」
024 ブルックス「人月の神話」
025 フーコー「知の考古学」
026 ドーキンス「利己的な遺伝子」
027 シュレーディンガー「生命とは何か」
028 オルテガ「大衆の反逆」
029 モース「贈与論」
030 ベルクソン「精神のエネルギー」
031 山本義隆「磁力と重力の発見」
同じ著者で複数の候補もあるが、とりあえず感覚の擦り合わせのために思いつくままに挙げました。
(引用終わり)
見た感じ共生と排除・ポピュリズム・ポパー的な視点・宗教と科学・法と社会といったテーマがいくつかグループ分けできるなあと思ったが、ちょうど今読んでいるのが国分太一郎の「中動態の世界:意思と責任の考古学」であり、いわゆる自由意思の問題に絡めて権力・暴力・強制・選択・責任といった話題が取り上げられているので、ここはひとつハート様の書籍でいきましょうと提案することにした(友人の専門が法学なので、門外漢の私が教えを乞いたいという意味合いもある)。また相方は私と同じく人工知能が社会構造を変えた後の、つまりポスト資本主義の社会に興味があるそうなので、この本が終わったら多分そういう関係の書籍にチャレンジすることになるだろう(そういう観点で言うと、マクルーハンの「グーテンベルクの銀河系」は、キットラーの「グラモフォン・フィルム・タイプライター」のように、要は自動翻訳をはじめとしてメディアの今後を考える土台とするための題材ではないかと推測される)。ちなみに古典的なものばかり候補に挙がっているのは、そうそう集まる機会はないので評価のある程度確定したものから読み進めようという趣旨からである。
なお、他の候補に関しては、以下のような感じ。
<共生と排除+ポピュリズム>
民主主義の未来と人工知能による統治の是非という点で大いに興味はあるが、現状ではノイズを多分に含んだ民衆の意見を人工知能がすくいあげられるのかということ、できたとしてそうすることの是非、そして人工知能を各国が政治決定に導入した場合、それぞれのことを読み合って千日手になる可能性(結局何も決められない停滞が訪れる?あるいは~のリスク…%といったデータが列挙されてそこからbetterを選ぶという形になるのか?だとしたら結局人間の価値判断が最終的に必要となってくる)などは思うが、それを二人で議論しても深まるのかやや疑問だったので、これは放置。バカが政治に参画するより人工知能に任せた方がよりよい社会が到来するという考え方はもちろんあるが、その場合正当性や責任の問題が当然惹起する(究極的に言えば、私たち人間は人工知能という名の神にオリエンテーションしてもらって生きる方がよいのか?という話にまで行きつく)。とはいえ、ポピュリズムについては(技術革新により)これからますます民意が可視化されやすくなるであろうこととその影響、そして排除を加速しかねないがゆえのグローバリズムのバランス・スピードについての議論はおもしろそうだと思うが(その場合は、それぞれ方向性は違うが、ギデンズ、サンデル、ピケティ、スティグリッツあたりが候補になろうか)。
<宗教と科学>
私が興味があるのが、日本人の宗教的帰属意識であり、広く宗教の社会内における役割ではないため、これは却下させてもらった。むしろ私は人間が神秘的だと思っていたものが認知科学の発達によってどんどん白日の下にさらされて、その状況に対して人間がどう振る舞うのかには興味がある。たとえば、それがただ脳内麻薬の分泌によるものによるものだとわかったとしてもなお、それによる陶酔を肯定するのなら、それは麻薬を打つのの何が悪い?という姿勢と同じになってくるわけだが、果てさてどうだろうか(もう少しわかりやすく言い換えると、中毒症状のなくなった麻薬なら使い続けるのは肯定されるか)?・・・以上を端的に言うと、あまり生産的な話にはならないと考えたわけである。
というわけで法と社会に落ち着きました。つか色々読みたい漫画もあるのに果たして期日までにハート様の著作は読み終わるのだろうか(;´∀`)まあその時は「血を見て我を忘れたら何人人を殺してもOKという趣旨らしい」と述べてお茶を濁すことにしようか(゚∀゚)アヒャ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます