心理学や社会学においては、「共感」は自然にできると考えられている。これは以前問題提起した通りだが、中でも一番問題なのは、「共感」の定義が多様で曖昧なことに他ならない。例えば、「共感」のもとになったsympathyはロングマン英英辞典において三つの意味が紹介されているが、共感の方は「全く同じように感じたり理解したりすること」(広辞苑)という一つの意味しか持たず、また「全く同じように」という部分がsympathyの‘similar’という定義に比べ強い同調性が含まれているように思える。
心理学における定義だと、sympathyは「他者の感情を理解する力」(D.M.バーガー『臨床的共感の実際~精神分析と自己心理学へのガイド~』1999)というものであり、これは私が共感に代えて必要だと主張しているものとそれほど離れてはいない(もっとも、私の必要だと思うのは「理解しようとする努力」だが)。以前批判的に取り上げた『人格障害かもしれない』や『他人を見下す若者たち』の作者たちは、おそらくこの定義に基づいて話していると推測されるが、果たして読者はそのような定義を共有できるのだろうか?既述のように、「全く同じように感じたり」という意味を共感は含んでいるのだが、これはバーガーのsympathyの定義には見られない要素である。とすれば、心理学での「共感」の定義を念頭に置いてそのまま共感と書いたとしても、ニュアンスが正確に伝わらない可能性が高い。いや……そもそもの問題として、先に挙げた辞書的な意味をみなが意識して使っているのだろうか?もっと共感という語のニュアンスは混沌としているのではないか?
そう考えると、共感という言葉を使う際にはその定義を明示しておくことが必要不可欠である(歴史関連の本で「中世」などの定義をあらかじめ行うのと同じだ)。そうしないと、「共感」は各自の無意識的な同一化傾向を刺激するだけであり、その結果この価値観の多様化した社会にそぐわない、押し付けがましく自分勝手な人間を増やすだけに終わるだろう。
要するに、共感の定義を明らかにせずその重要性を説いても、百害あって一利なしなのである。いじめの問題などで共感の大切さを取り上げたり、介護における共感の必要性を書いた本などもあるようだが、共感の定義を明示しなければ、逆効果に終わるだろう。
※
今詳細に書くだけの用意がないが、日本における共感とは(個人主義の称揚によって沈潜したように見える)同一化傾向の発露であって、「世間」・「空気」と不即不離の関係にあると考えている。それは要するに、集団の論理そのものである。とすれば、共感の促進はむしろ「普通」という名の暴力を促進させる結果になるのではないだろうか?共感の語を使う場合には、このような危険性・排他性を特に意識しなければならない。
心理学における定義だと、sympathyは「他者の感情を理解する力」(D.M.バーガー『臨床的共感の実際~精神分析と自己心理学へのガイド~』1999)というものであり、これは私が共感に代えて必要だと主張しているものとそれほど離れてはいない(もっとも、私の必要だと思うのは「理解しようとする努力」だが)。以前批判的に取り上げた『人格障害かもしれない』や『他人を見下す若者たち』の作者たちは、おそらくこの定義に基づいて話していると推測されるが、果たして読者はそのような定義を共有できるのだろうか?既述のように、「全く同じように感じたり」という意味を共感は含んでいるのだが、これはバーガーのsympathyの定義には見られない要素である。とすれば、心理学での「共感」の定義を念頭に置いてそのまま共感と書いたとしても、ニュアンスが正確に伝わらない可能性が高い。いや……そもそもの問題として、先に挙げた辞書的な意味をみなが意識して使っているのだろうか?もっと共感という語のニュアンスは混沌としているのではないか?
そう考えると、共感という言葉を使う際にはその定義を明示しておくことが必要不可欠である(歴史関連の本で「中世」などの定義をあらかじめ行うのと同じだ)。そうしないと、「共感」は各自の無意識的な同一化傾向を刺激するだけであり、その結果この価値観の多様化した社会にそぐわない、押し付けがましく自分勝手な人間を増やすだけに終わるだろう。
要するに、共感の定義を明らかにせずその重要性を説いても、百害あって一利なしなのである。いじめの問題などで共感の大切さを取り上げたり、介護における共感の必要性を書いた本などもあるようだが、共感の定義を明示しなければ、逆効果に終わるだろう。
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今詳細に書くだけの用意がないが、日本における共感とは(個人主義の称揚によって沈潜したように見える)同一化傾向の発露であって、「世間」・「空気」と不即不離の関係にあると考えている。それは要するに、集団の論理そのものである。とすれば、共感の促進はむしろ「普通」という名の暴力を促進させる結果になるのではないだろうか?共感の語を使う場合には、このような危険性・排他性を特に意識しなければならない。
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