昨日AIの話もしたので、それにまつわる動画を掲載してみようと思ふ。
ここでは、「自分たちがどんなゲームを生きているのか知る必要がある」、「いつまで変わるのを待っているつもりなのか」という話が展開されているわけだが、それをAIに言わせているところがまたおもしろい。
というのも、今の内向きで変化を嫌う日本のシステムにおいては、それに順応した人はAIの進化によって仕事をどんどん奪われていくだろうし、逆に雇用を変化をさせないためにAIの導入を遅らせれば、まさしくbullshit jobsの山が残って日本の生産性は低いままとなり、国際競争力をますます失って没落の一途を辿ることになるだろうからだ。「退くも地獄、進むも地獄」とはよく言うが、「現状維持でも地獄」なのである。カミもホトケもありゃーしませんな(・∀・)
とまあいくらでもえげつない話ができるわけだが、今回の動画は新年一発目だからなのか、視聴後は割とさわやかな気分になる構成になっている。様々な動画を見ていると「炎上」と「ブラックジョーク」の境界をよくぞここまでとばかりに綱渡りする内容を連発している(=バランス感覚がすごい)作者なのを考えれば、これも意図的なものなのだろう。
さて、ここの動画に出てくるのは、要するに「自我を持ったAI」である。これは一見すると人間に近いとか、その意味で理想的な存在と見えるかもしれないが、実際には「自我」とは自律性に繋がるものであり、そうなるとAIの失敗に対しては法的責任を問えることとなり、するとそもそも先にAIを法的人格として設定せねばならないことになる(それを棄損することは、動物のように「器物破損」になるのか、はたまた「殺人」になるのか)。
これは『AI時代の労働の哲学』でも提起されていることだが、AIが人間に対して「共感性」を示すという未来像は、それが「不気味の谷」を超えて同朋が増える喜びかそれ以上に、極めて厄介な諸問題を惹起するのである。
・・・という風にいくらでも深刻な話に結びつけうる内容を、さわやかに終わらせたのはある意味新年の挨拶という性質上だろうな、という推測をくり返しつつ、この稿を終えたい。
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