本作は「少女小説」と位置づけられているのだが、読み終えてみて疑問を感じるようになった。もちろん、「少女小説」というカテゴライズそのものは様々な作品の比較分析に則ったものだと思うし、安易に批判する気はない。だが、(少なくとも『赤毛のアン』と比較する限り)本作から「少女小説」という印象を私は受けなかった。その大きな理由は二つ。
一つは、パレアナ自身の生い立ちや生活にそれほどスポットが当たっているように思えないこと。前者に関して言えば、父親と「婦人会」の話は繰り返されながらも、そこからの広がりがない。後者については、人とのエピソードに特化していると言うことができる。つまり、個性的な人物たちとの「喜びのゲーム」という話が全体を支配していて、「少女小説」では重視されるはずの日常生活(食事、お手伝い、学校など)がほとんど出てこないのだ。このことは「パレアナが日曜学校に通うことになった」という事実以外は1、2行程度しか触れられない学校の記述において、最もその特異性が表れていると言うことができるだろう。
もう一つは、同年代の子が一人しか出てこないということ。物語の主眼は色々あるが、成長を描くならば仲間として、周囲から受け入れられてく話なら協力者として、同年代の子供というのは必要不可欠なファクターである。というのも、そういった子供同士のコミュニケーションを入れることによって、読者の少年・少女が感情移入しやすくなるからだ。しかし、本作はそれを採用しない。唯一出てくる子にしたって、孤児だったのを助けてやり「喜びのゲーム」を教えるという関わり方であって、遊び友達でもクラスメイトでもない。結果として、パレアナが関わる人はみな大人達ということになる。そこで見られるのは、長い間病に苦しむ人の救いであったり、中年の恋愛話・結婚であったり、老人の孤独な生活からの脱却である。これらはパレアナと同世代の子が読んでとして、とても感情移入できると感じる対象・出来事だとは思えない。
以上の理由から、本作は同年代の子に読ませるための仕掛けを尽く欠いていると言わざるをえない。いやそもそも、あまりにあからさまな学校関連の記述からは、作者のエレナ・ポーター自身が、少年・少女向けとして本作を志向していたわけではないという結論に至るのが必然だ。ゆえに、本作は「少女小説」というより「少女が主人公の小説」と言ったほうがよほど実態に合っている。いやさらに言えば、パレアナが「喜びのゲーム」で大人たちを和ませたり救ったりする姿から、「少女が大人たちを救うという、大人のための小説」と定義することができる。
このように見ればこそ、本作が社会全体にブームを引き起こし、店にpollyannaと命名するのが流行ることさえあったというのも理解できる。それは例えば、表現方法は違えど、ピーターパンが大人にとっても(あるいは大人にとってこそ)魅力のある作品としてブームとなったこととよく似ていると言えるだろう。
一つは、パレアナ自身の生い立ちや生活にそれほどスポットが当たっているように思えないこと。前者に関して言えば、父親と「婦人会」の話は繰り返されながらも、そこからの広がりがない。後者については、人とのエピソードに特化していると言うことができる。つまり、個性的な人物たちとの「喜びのゲーム」という話が全体を支配していて、「少女小説」では重視されるはずの日常生活(食事、お手伝い、学校など)がほとんど出てこないのだ。このことは「パレアナが日曜学校に通うことになった」という事実以外は1、2行程度しか触れられない学校の記述において、最もその特異性が表れていると言うことができるだろう。
もう一つは、同年代の子が一人しか出てこないということ。物語の主眼は色々あるが、成長を描くならば仲間として、周囲から受け入れられてく話なら協力者として、同年代の子供というのは必要不可欠なファクターである。というのも、そういった子供同士のコミュニケーションを入れることによって、読者の少年・少女が感情移入しやすくなるからだ。しかし、本作はそれを採用しない。唯一出てくる子にしたって、孤児だったのを助けてやり「喜びのゲーム」を教えるという関わり方であって、遊び友達でもクラスメイトでもない。結果として、パレアナが関わる人はみな大人達ということになる。そこで見られるのは、長い間病に苦しむ人の救いであったり、中年の恋愛話・結婚であったり、老人の孤独な生活からの脱却である。これらはパレアナと同世代の子が読んでとして、とても感情移入できると感じる対象・出来事だとは思えない。
以上の理由から、本作は同年代の子に読ませるための仕掛けを尽く欠いていると言わざるをえない。いやそもそも、あまりにあからさまな学校関連の記述からは、作者のエレナ・ポーター自身が、少年・少女向けとして本作を志向していたわけではないという結論に至るのが必然だ。ゆえに、本作は「少女小説」というより「少女が主人公の小説」と言ったほうがよほど実態に合っている。いやさらに言えば、パレアナが「喜びのゲーム」で大人たちを和ませたり救ったりする姿から、「少女が大人たちを救うという、大人のための小説」と定義することができる。
このように見ればこそ、本作が社会全体にブームを引き起こし、店にpollyannaと命名するのが流行ることさえあったというのも理解できる。それは例えば、表現方法は違えど、ピーターパンが大人にとっても(あるいは大人にとってこそ)魅力のある作品としてブームとなったこととよく似ていると言えるだろう。
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