昨日は熊本地震の話もしたことだし、ちょっと熊本関連の話をば。
自分は基本的に興味がないことは努力しても全く頭に残らないタイプなので、熊本に関しては「東バイパス」だの「浜線バイパス」だの聞いてもそれが何のことか全くわからないし、地名についても「この道を行けば着ける場所」という理解はしているが、その位置関係は全く把握していなかったりする(だから熊本地震で「~区の被害がひどかった」という話を聞いた際、熊本のどのあたりかはおおむねわかるが、具体的にどの場所の話をしているかは全くわからん、といった現象が起こったりしていた)。
まあこれはおそらく、地元を離れる18歳までそれほど行動半径が広いわけでもなく、全然困らなかった(覚える必要がなかった)ためだろう(例えばあるタイプのバスに乗れば、それで目的地に着けることは知っていても、それらがどういう方角や位置関係にあるかを知る必要性が全くなかった)。熊本の地図をまじまじと見たことなんて一回もなかったしね(・∀・)そういうわけで、呼称は自分にとって単なる記号であり、それが世界理解の体系の中に組み込まれていなかった、とも言える(これが近代より前の庶民の感覚ですよとw)。
一方東京はと言えば、自分がalienな存在としてまずは地図や電車の路線図を見るところから経験しているので、東京駅と新宿駅の位置関係だとか、浜松町駅と高田馬場駅の位置関係となれば一応ぱっと出てくるし、環七や昭和通り、甲州街道といったものもグーグルマップなどの地図で見ているので、名称と位置関係がセットで頭に入っているわけである(東京とその隣県の境界も視覚的に理解されている点で、近代=主権国家体制成立以降の地図ナショナリズムは、おそらくこんな感じだったんだろう。伊能忠敬やブーヴェ&レジスが作成した地図群が、それを見る人たちの世界意識に影響を与えたように)。
ただまあ逆に言うと、単線的な理解はできているものの、それらが組み合わせになった瞬間に怪しくなり、例えば御茶ノ水駅(総武線・中央線・丸の内線)と竹橋駅(東西線)の位置関係とかになると、途端に????となったりする現象も生じますよと😅
まあともあれ、こうやって理解に穴がありまくるからこそ、ふらっと放浪なんかして点と点、線と線が結びついたことがおもしろく思えるという意味で、人生の必要な残余だわね、と適当に理由付けしつつ、この稿を終えたい(・∀・)
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