昨日の「既得権益権益への固着と自己責任論の共犯関係」において、日本の共同体の変化(集団就職による上京と会社共同体)と絡め日本人の無宗教に言及した。そこで今回は、そのような視点で私が注目している松下幸之助について触れておきたい。なお、次の段落でいつも書いている注意点を繰り返しておく。
最近の統計によれば無宗教を自認する日本人の割合は8割近くに及び、それが「日本人は無宗教である」という評価の主な根拠の一つとなっている。これに関して、多くの言説は、そこからすぐに「日本人はそもそも宗教的帰属意識が曖昧で云々」という飛躍した議論をしがちなのだが、そういった見解は1946~1950年の時事通信社の調査で(多少幅はあるが)50%前後の人が自らを仏教徒と認識し、1952年の読売新聞社のそれでは55%近くがそう答えている(冒頭のグラフ参照)、といった事実を全く無視している点を強調しておきたい(データの詳細は石井研士『現代日本人の宗教 増補改訂版』を参照。なお、これは先行研究を軽んじて我こそは真実を語れり、などと言いたいのではなく、管見の限りでこういった「不都合」な統計データに向き合った日本の無宗教に関する言説に出合ったことがない、という話である)。つまり、日本人で無宗教を自認する人間が過半となったのは、統計データを見る限り100年足らずの極めて歴史的な現象とみなさざるをえないのである。
事象の分析・評価にしばしばありがちなことだが、精細に調査すればするほど、一筋縄でいかない(容易に結論が出せない)と気づくことがよくある。日本人の無宗教もおそらく同じで、時代による多少の変化はあるが、少なくとも戦後しばらくは「無宗教を自認する人間が大半」とは言えない状況にあり、それが徐々に今日のような状態に変化してきた、ということである。その点を踏まえれば、戦後における変化とその要因、もっと言えばそれを準備した前提(それ以前の時代状況)を分析すべきである、という問題設定になるだろう。
以上の観点から、現在は伝統的共同体からの離脱と信仰の継承失敗、新宗教による都市の出稼ぎ労働者の取り込み、会社共同体による包摂といった視点で、(極めてゆっくりながら)考察を進めており、その一環として松下幸之助を一つの材料としてピックアップした、というわけである。
松下幸之助についてここで詳細に紹介する余裕はないが、松下電器本社の「創業の森」と名付けられた空間にある根源社の由緒は、その思考態度を知る大きなヒントになるだろう。
宇宙根源の力は、万物を存在せしめ、それらが生成発展する源泉となるものです。
その力は、自然の理法として、私どもお互いの体内にも脈々として働き、一木一草のなかにまで、生き生きと満ちあふれています。
(中略)
その会得と感謝のために、ここに根源の社を設立し、素直な祈念のなかから、人間としての正しい自覚を持ち、それぞれのなすべき道を、力強く歩むことを誓いたいと思います。
いかがだろうか?企業墓などの企業と宗教の混交をフィールドワーク的に分析した『むかし大名、いま会社』における中牧弘充の言葉を借りれば、「もし松下幸之助という署名がなければ、どこかの教祖がかいたと言われても疑問におもわないかもしれない。なぜならそこには企業活動に関する言及がまったく欠けているだけでなく、アニミズム的な宇宙観や生命観がいかいきと躍動しているからである」。私も概ね同じ感想を抱いている。
とすれば、次に疑問なのは松下幸之助の思想はどのようにして形成されたかなのだが、この点で現在読んでいる『戦前のラジオ放送と松下幸之助』が興味深い。これを読むきっかけになった『入門近代仏教思想』だが、それも含めて現在考えているのは、江戸時代における仏教「国教化」と形式化、そして明治時代以降の梯子外しに伴うゆるやかで継続的な仏教の儀礼化・慣習化と平行して、仏教の思想を精錬しようとした先人たちによる仏教の「哲学化」(主に知識人)、そして後年の仏教関連のラジオ放送によるわかりやすい説法を通じた仏教の「道徳化」(主に一般大衆)が生じたのではないか?ということだ。
そしてこのような現象の体現者・表現者が、自身有能な経営者でもあった松下幸之助なのではないか?と考えているのである(松下幸之助は尋常小学校中退であまり本も読まなかったとされ、どうもその思考のヒントを高嶋米峰や友松圓諦などのラジオ放送から得ていたらしい)。
というわけでまだこの視点での分析は始まったばかりだが、日本人の宗教的帰属意識の変化や企業共同体のあり方とその変容を考察してみたいと考えている次第である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます