地獄少女~二籠~

2007-07-23 00:47:39 | レビュー系
まだ三話までしか見ていないが、とりあえずの感想を書いておく。


(第一話)
いきなり村を焼き払う場面があり、さらに骨女は愛のことを「最近色々あった」と言っている。骨女のセリフからすればすでに付き合いが長い状態に違いないから、「色々あった」とは第一編(最初の26話)で恨みの元になっていた人間の子孫に出会ったことを差しており、「ニ籠」は第一編の続きに位置すると考えられる。

とすれば、前回の親子がどうなったか、そしてこれからどう絡んでくるのかという点が気になる。また、自分の恨みの根源に到って救われたように見える愛が、まだ地獄送りを続けなければならないところに業の深さが感じられる。さて、愛の罪はいつ贖われるのだろうか?


(第二話)
この話では死者の声を動かしており、オカルト要素が大きい。第一編でも地獄少年の話(第二十話)はあったが、あまり出さないほうがよいと思う。確かに、オカルト要素(死者の声)がなければ呪い殺す相手ばかりか、妹が殺されたことさえわからないままだ。名前を知らないはずの犯人を呪い殺せたのも、この死者の声によると考えられる(名前入力のシーンはないが、普通の方法ではわかるはずもなく、オカルトが介在していると見るべきだろう)。また、姉を恨んでいる妹が呪いの声によって姉に犯人を地獄送りにさせ、姉もまた道連れ(死んだ後に地獄行き)という二重構造の復讐はよくできていた。しかしそれでも、他が「リアル」な中でこそ地獄少女という超常的存在は際立つのではないか?常人がいてこそ狂人が際立つように。不可解な子供(?)も絡ませようとしているらしいが、オカルト要素を拡大するのは諸刃の剣だろう(地獄絡みでオカルト要素はいくらでも作り出せるだろうが)。さて、そのバランスをどう取っていくのか…


(第三話)
本当にそれでいいのか?という印象の強い話。そもそも第一編が地獄送り(復讐)を否定するような方向で描かれていたのは確かで、例えば親を殺された娘が市長を呪い殺す話はその最たるものだった。だがあれは、親の死という現実に基づいてはいた(ゆすりであれ)。また権謀を巡らした第七話の劇団の女は、自分が呪い殺された。そして23話「病棟の光」は、ストーカー(?)が患者たちに慕われる看護婦を呪い殺すという地獄送りに強く疑問を抱かせる内容になっていた(※)。しかし、このようにすっきりしない場合があっても、必然性は理解できたり、あるいはそれがなければ第三者の行為として描かれていた思う。

だがこの話は違う。主人公自身が確信犯的に理不尽で、しかもその地獄送りが成功する内容である(主人公と男の描き方からすれば、主人公に批判的な目を向けさせようという意図は明らかである)。まず好きだった男が死んだのは、ほとんど主人公(の自己中心的なこだわり)のせいである。一応二股が恨みの原因のようになっているが、殺された方はほとんどとばっちりもいいところだろう。主人公は死なせた罪悪感と孤独を発散しようとしただけだからだ。「殺すほどのものか?てゆうかてめーが死ねよ」としか思えない。

不思議なのは、主人公に同情的な骨女である。オープニングや第二話の一目連からすると「ニ籠」は愛以外の三人を色々絡ませていくつもりのようだが、先のオカルト要素も含め描き方が気になるところではある。


以上のように、ニ籠は最初から新しい要素が色々出てきており、スタッフの意気込みを感じさせる。この勢いが最後まで続いていることに期待したい。



余談ながら、看護婦を地獄送りにした直後に自殺したことを思えば、看護婦を呪い殺した男の動機は逆恨みではなく無理心中あたりだろう。看護婦を地獄に送り、自分は自殺して地獄に行きあの世で一緒に…というグロテスクな妄想にかられて糸を引いたのだと推測される。

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