村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』と谷流の『涼宮ハルヒの陰謀』(以下最後の漢字二字のみ記す)を読み終える。当初の予定ではそのまま『憤慨』へと移行するつもりだったが、『陰謀』が『憂鬱』、『退屈』と同様たいしておもしろくなかったので一端凍結し、放置されていたドストエフスキーの『罪と罰』へ戻ることにした(なお、『溜息』の批評・感想はこの記事、『消失』~『動揺』までの批評・感想はこの記事を参照)。
さて、『カラマーゾフの兄弟』を読み終えて『罪と罰』に到るわけだが、この作品を読むのには大きな理由がある(つまり、『カラマーゾフの兄弟』を読み終えたから次の有名な作品、というようなものではない)。それは(誤解を恐れずに言えば)「獣に人権は必要ない」という私の考え方と、その「獣」の枠組みが非常に恣意的なものでしかないという自覚だ。それ故にこの作品を読む、いや読まなければならないとさえ思っている。『カラマーゾフの兄弟』でも提示されていた「人は人を裁けるのか?」という問題意識…それが『罪と罰』でどのように展開されるのか、今から楽しみだ。
さて、『カラマーゾフの兄弟』を読み終えて『罪と罰』に到るわけだが、この作品を読むのには大きな理由がある(つまり、『カラマーゾフの兄弟』を読み終えたから次の有名な作品、というようなものではない)。それは(誤解を恐れずに言えば)「獣に人権は必要ない」という私の考え方と、その「獣」の枠組みが非常に恣意的なものでしかないという自覚だ。それ故にこの作品を読む、いや読まなければならないとさえ思っている。『カラマーゾフの兄弟』でも提示されていた「人は人を裁けるのか?」という問題意識…それが『罪と罰』でどのように展開されるのか、今から楽しみだ。
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