サイゼリア談義:所属・契約・擬制

2021-11-24 11:40:40 | 抽象的話題

連休を利用して友人とシュラスコに行く前、サイゼリアで久々にあれこれダベったのでその備忘録。メモ書きゆえ特にまとまりはないので悪しからず。

 

ナショナリズムは1つの「分割方法」にすぎない→宗教・パトリオティズム・共産主義などと同列。

「我々」とは誰か?彼我の境界線の引き方。カール・シュミット、言語。ただしナショナリズムの場合、他と違って「民族」というすでに最初から決まっている=後天的なものではないと認識させやすい性質が強いため、より本質的な要素として訴求できるという側面を見逃すことができない(まあそれについても、「純血」にやたらこだわる事例からもわかるように、実は相対的なものに過ぎなかったりするわけだが)。そしてそのような側面が、優生学や社会進化論などの形で人を選別・排除してきた歴史を見過ごすわけにはいかない。

 

・法哲学

世の中の動きが速すぎて、立法が後追いになっている。現場の人間として、どう行動するかの規範が必要。その際の地図として原理を探求する必要あり。ハートなど。

 

・貨幣論

仮想通貨、authorizeの仕組み、機能の歴史的理解、キャッシュレス社会における貨幣の価値とその変化

 

・三菱樹脂事件/東亜ペイント事件→「メンバーシップ型雇用」の本質

ギルド的。飲み会。勤務時間。「管理職」の捉え方がジョブ型雇用とどのように違うのか。管理というジョブを請け負う。会社の中の階梯(corporate ladder)。

 

・企業風土と研修

他の企業と横並びで評価できない。転職のしにくさ→小熊英二「日本社会の仕組み」。テレワークが進む中、「働きぶり」を評価することが困難になっている。ならば成果物を設定し、それに対する報酬としてサラリーが支払われる仕組みの方が現実的か?その場合メンバーシップ型雇用は継続しうるのか?あるいはそうするのが妥当なのか?正社員という存在はある種漫画家などの「専属契約」のようなものに変化していく(個人授業主ではないので同列には扱えないが)?

 

・日本の労働法→GHQの元、ジョブ型を元にして作られているので日本の実態と齟齬

凡例の積み上げで実態にあわせた適応がなされている(無理のある適応も見られる)。ただし後に制定された労働契約法はメンバーシップ型になっている。

 

・「ジョブ型雇用社会とは何か」(濱口桂一郎)

 

・「労働」の変化

ブルシットジョブ、AIによる代替。「労働」の捉え方と多様性。日銭を稼ぐ場合。ある意味での「遊び」のケース。

 

・scienceとart。あるいは工学的な知と理学的な知

「合理主義」の限界。フェルマーの最終定理とその証明過程。何が何の役に立つかを、不完全な人間は見通すことができない。だからこそ、基礎研究を短期的な利益やわかりやすい合理性の名のもとに縮小してはならない。

 

・ポパーVSファイアーアーベント

最初ファイアーアーベントのファイアーを聞き逃して、なぜかアメリカのバーニングマンと勘違いw

積み上げ式の思考と反証可能性。クーンのパラダイムシフト。価値相対主義。「方法への挑戦」。そもそも論として、ある原因によってある結果が生み出され、その結果は次の事象の原因となり・・・という因果律の鎖は、一見とてもわかりやすいが、マルクス主義史観がそうであるように、人間がそれを理解しやすくするためにノイズを排除して作り出した一つの「神話体系」に過ぎないのではないか(認知科学の問題も参照)。フランス革命の記事でも述べた、善悪二元論がクソであるという話。

人間のレセプターとしての抜きがたい性質とその危険性は、陰謀論の跋扈とそれに惹きつけられる人が少なくない現在を見れば容易に理解されるところ。

 

・クオリア→「客観」はありえるか?

「共感」の欺瞞とそれを称揚することの危険性。「分かり合えないこと」からスタートしないと、単に同調圧力や排除を正当化するロジックとして機能してしまいかねない。ウパニシャッド、カント、ソシュール、言語ゲーム。

 

・合意不可能性の理解を踏まえた上で、どのように共生を模索するか

ローティとリベラルアイロニズム。あるいはジョナサン・ハイト。

 

・功利主義VS自然法

ドゥオーキンの「権利論」を参照。法や権利の歴史的背景を理解せずにそれを自明の真理のように思ったり、あるいはそこから極端に走って擬制が全て無意味であるかのように考えるのは愚の骨頂だ。

トロッコ問題。国際法の起源。

ハート→オースティン(パフォーマティブとコンスタティブ)

ロールズ→fareness→その範囲はいわゆる先進国に過ぎない、ということがサンデルとの対談で見えた

ノージック→リバタリアン→ハイエク→ヒュームVSロック(社会契約という名の擬制・共同幻想)

 

映像授業とリカレント教育

「労働」の変化。余暇と学び。あるいは企業→大学での学びなおしという流れにおける利用価値。

 

・村上春樹

村上春樹はある程度読んだが、それが自分に刺さったことがない(多少なりともなるほどと思ったのが、彼の中では珍しくリアリズム寄りの「国境の南、太陽の西」だけなので、多分テーマとして設定しているものが自分にとって大して重要ではないからだろう)。作品としての価値が高いとか低いではなく、自分の中にある問題系に関わりがない、という感じか。例えば「オイディプス」や「邪宗門」などとは違う。

「心臓を貫かれて」はおもしろいらしい。なるほど毒親問題と尊厳の破壊か(というかこれは他者を己の所有物のように錯覚する人間全てに起こる話だ)。カポーティの「冷血」なども連想。「There is a father.」の解釈?ああはいはい、He is an Edison.と同じ用法ね。

 

・「親ガチャ」の存在

(生育)環境がその人に大きな影響を与えうるという点において、「親ガチャ」は間違いなく存在する。それを理由にただ不平・不満を垂れ流し続けても意味がないという話と、実際にそれが存在するという話はまた別のことだ。マイケル・サンデルの「実力も運のうち 能力主義は正義か?」なども参照。確率論や蓋然性という要素を無視して、やたら個人の努力に帰する精神主義者が多すぎる。その論理は、「結核の致死率は確かに高いが、ペニシリンを投与しなくても食習慣の改善や生活環境の向上で生き延びることはあるので、それを投与する必要はない」という程度には馬鹿げている。ある種の「生存者バイアス」。

 

shemaleをナンパ→どう思うかのライン

人が賢者モードの時に、良し悪しの判定を要求するラインを送ってくるなwとはいえ、ワイはこういうクールビューティ―は好きやで(・∀・)

 

・最強のAVに出会ってしまった・・・賢者を量産する痴の泉

圧の強い上司の後をつけて金・土・日でわからせたった。川上菜々美最強伝説。ワイの一押しは深田えいみや!あー、よく考えたら上野千鶴子と鈴木涼美の往復書簡をまだ読んでないわ。今度目を通さねば。

 

・旅行

対馬に3人組で行く?ついでに小学時代の恩師に挨拶?

 

・ピケティの新著がまだ出ない

9末の予定が11末に。まあ翻訳系は特に大変だからねえ・・・そういえばさっきのブックオフに、グローバルタックスの本もありましたなあ。よく思うんだけど、なんで大きなシステムは正しいことが前提なんですかねえ・・・

 

「社会主義の理念:現代化の試み」(アクセル・ホネット)

承認論という視点は興味深い。「疎外」という問題意識、独占・寡占状態、シュンペーター、BIなどなど・・・所属という問題→「労働」の変化やメンバーシップ型雇用、共同体の崩壊とモナド化する個人(ある意味「無敵の人」の量産が可能となる土壌)につながっていくねえ。

 

・国際教養 桜井→「社会秩序の起源:『なる』ことへの論理」

複雑系。日本の点的理解と欧米の線的理解。日本の観念は「今中」や「つぎつぎとなりゆくいきおひ」を連想させる。四季の循環構造という説明は妥当か?

 

・企業はもはや育成にそれほど情熱をかけていない

まあ数年で他の企業になら、育成のインセンティブは減るわな。てかメンバーシップ型が変化していくなら、新卒一括採用の旨味もなくなるやろな。

 

・日本シリーズ

オリックスVSヤクルト。村上について。九州学院出身。ハートの強さ含めて先が楽しみやなあ。杉内・和田時代で知識が止まっているワイ( ̄▽ ̄)熊本工業の栄光と衰退。

 

・次回はデュルケーム

個人的にはPapers,Please.の流れで共産主義国家の崩壊(アノミー)と自殺の連鎖について考えてみたかったので、デュルケームの「自殺論」を掘り下げてみたい。あるいは個人の行動を規定する外的要因の視点については、分断という観点でサイバーカスケードを取り上げてみたり、もっと別の角度で認知科学からアプローチしてみるのもおもしろそうだ。


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