以前にもちょっと触れたが、俺はどうも物欲が欠落した人間らしい(もっとも、俺の一般的人間観が正しければの話だが)。
例えば服。極端な話、「どうせ人から見えないんだし靴下に穴が開いてようが構わない」とさえ思っている(靴下が破れていることによる不快感ゆえに、それを履くのを避けはするが)。見かけが小ざっぱりしてれば後はどーでもいいっていう感じで。次にテレビ・車・家だが、これにも全くこだわりがない。メディアは21型テレビにプレステ2、そしてパソコンで事足りる。車に関しては、父親が車にこだわる人間なこともあっていい車に乗ったことがあり、その良さ(走りの安定感etc)は実感している。しかしそれでも、それが必要だとは思わない。
このようにして使わないため普通に金が貯まっていくわけで、給料をどんどん上げていく意味合いが感じられんのお。とまあそれはさておき、この物欲の欠落には名誉欲の欠落というものが不可分に結びついているように思える。例えば服というのは単に着心地がいいとかいうだけでなく、そういうものを持っている・身に着けていることが一種のステータスとなりうる。だけど俺は、そのステータスに全く意味を感じない。むしろ逆に、「分不相応」なものとして不快感すら覚えてしまうほどだ(この辺、高校時代にスーツを着たときの居心地の悪さと同じだ)。こういった感情的な側面と(良いものと理解していても)必要性がないという理論的な側面から、私にとって高価なもの(車や服)は不要などころか、時に忌むべきものとさえなっているのである。
ただ、俺は「人を外見で判断するな」などと言いたいわけではない(実際俺もその格好などをもって人を判断することがある)。要するに、身に着けているもので判断されたくないのではなく、判断されるからこそ身の丈に合わない(と感じる)ものを避けるのである。それに、良いものを所有していることがステータスに繋がるのだとすれば、それが社会的に有益かつ合理的であるということを意味する。それでもなお、よさげなものをあつらえてそれに無理やり自分を合わせるのはごめんこうむりたい(その意味では、俺も「衣服が人をかたち作る」という思想に縛られていると言える)。それによって生じる齟齬・不快感にさいなまれるくらいなら、俺は身の丈にあったものを身に着けていたいのだ。俺が身の周りのものを選ぶのであって、それに自分を合わせようとは思わない。そういうことだ。
例えば服。極端な話、「どうせ人から見えないんだし靴下に穴が開いてようが構わない」とさえ思っている(靴下が破れていることによる不快感ゆえに、それを履くのを避けはするが)。見かけが小ざっぱりしてれば後はどーでもいいっていう感じで。次にテレビ・車・家だが、これにも全くこだわりがない。メディアは21型テレビにプレステ2、そしてパソコンで事足りる。車に関しては、父親が車にこだわる人間なこともあっていい車に乗ったことがあり、その良さ(走りの安定感etc)は実感している。しかしそれでも、それが必要だとは思わない。
このようにして使わないため普通に金が貯まっていくわけで、給料をどんどん上げていく意味合いが感じられんのお。とまあそれはさておき、この物欲の欠落には名誉欲の欠落というものが不可分に結びついているように思える。例えば服というのは単に着心地がいいとかいうだけでなく、そういうものを持っている・身に着けていることが一種のステータスとなりうる。だけど俺は、そのステータスに全く意味を感じない。むしろ逆に、「分不相応」なものとして不快感すら覚えてしまうほどだ(この辺、高校時代にスーツを着たときの居心地の悪さと同じだ)。こういった感情的な側面と(良いものと理解していても)必要性がないという理論的な側面から、私にとって高価なもの(車や服)は不要などころか、時に忌むべきものとさえなっているのである。
ただ、俺は「人を外見で判断するな」などと言いたいわけではない(実際俺もその格好などをもって人を判断することがある)。要するに、身に着けているもので判断されたくないのではなく、判断されるからこそ身の丈に合わない(と感じる)ものを避けるのである。それに、良いものを所有していることがステータスに繋がるのだとすれば、それが社会的に有益かつ合理的であるということを意味する。それでもなお、よさげなものをあつらえてそれに無理やり自分を合わせるのはごめんこうむりたい(その意味では、俺も「衣服が人をかたち作る」という思想に縛られていると言える)。それによって生じる齟齬・不快感にさいなまれるくらいなら、俺は身の丈にあったものを身に着けていたいのだ。俺が身の周りのものを選ぶのであって、それに自分を合わせようとは思わない。そういうことだ。
私も高い服を買ったりはしませんが、本は買うので、結構出費になってしまいます。
人が車や服を求めるのが単純に物への執着と言えないのは本文でも述べたとおりですが、それでも物への関心を立脚点にしているのではないかと思うのです(つまり、乗り心地のいい車、見目のよい服etc...)もっとも、どちらが優先されるのか断言できるわけではありませんが…
う~ん、プラトンの『パイドロス』ではありませんが(「物欲」について)もっと定義づけをはっきさせておくべきでしたね。反省しています。
でもお金持ちの蒐書家は違うみたいで、コレクションとして、何十万もする古い本を買うみたいですね。
あと、岩波の「カント全集」の何パーセントかは、やはりお金持ちが部屋の装飾品として買うと聞いたことがあります。