自分が日本史の領域で興味を持ち始めたのが室町時代(主に後期)だって話は前に書いた通りだ。その理由はつまるところ、室町時代の重層的権力構造を見ていくことによって、現代ではほぼ前提となっている主権国家体制や国民国家というものが対照的存在として相対化されたり、その理解が深まると感じているからだ(もう少し一般化して「近代的国家像との対比」と表現するなら、前に書いた中世の自力救済は、近代国家における暴力の独占という仕組みの輪郭をよりよく理解するのに有益でありうる、という具合。ちなみにこういう視点は『世界の辺境とハードボイルド室町時代』のような本でも見られるもので、それほど特殊なものではない。日本人の無宗教関連でよく言及する比較宗教学についてもそうだ)。
こう書いていると、「いやいや近代日本も重層的権力構造じゃないの」という突っ込みが入るかもしれないが、まさにその通りで、自分が興味を持っている分野のもう一つがいわゆる「憲政の常道」であるのもその辺りに由来する。
これはいわゆる大正デモクラシーなどとも重なる時代で、多数派政党のトップが内閣総理大臣に就任する仕組みというか状況を表した言葉だが、近代日本は天皇を元首とした議院内閣制でありつつも、幕府のようなものが蘇ってこないように意図して分権構造が採られており、そのキメラ的構造を超法規的存在の元老(伊藤博文や山形有朋)がまとめるという仕組みだった(だから当然、「天皇=何でもできる」といった理解は全く正しくない)。
このような状態からある者は理念的な背景から、またある者は実利的な狙いから構造転換を図ろうとしたのが憲政の常道だったわけだが、その末路は政党政治による足の引っ張り合いと経済危機への対応ミス、そして五・一五事件というテロだったことはよく知られた通りだ(ドメスティックな問題だけでなく、例えば国際協調路線の若槻内閣に対して枢密院が協力を拒んだことにより金融恐慌が生じる、といった具合に外交路線の対立が国内問題にも影響する複雑な様相を呈していた。なお、こういった混乱の中で軍部に対する大衆の期待も醸成されてくるわけで、国内不満を国外への「成果」でガス抜きする政策や、ポピュリズムの手口を理解する上でも有用である)。
この後は、元老が西園寺公望しか残っておらずコントロールが効かなくなる中で二・二六事件も起こり、「未完のファシズム」のまま有為転変する国際情勢も相まって日本は破滅的戦争へと流されていくわけだが(「向かっていく」という主体性の言葉すら使っていいものやら)、あの戦争に到る構造を理解しようと思うなら、日本の重層的権力構造と構造展開の失敗について分析する必要があると考えるわけであり、そういう点で憲政の常道に興味を持っているわけである。
とまあ「故きを温ねて新しきを知る」的な視点から二つの時代に興味を持っているということだが、最初に述べたカオスな中世の状況を典型的に表す動画を掲載しつつ、この稿を終えたい(・∀・)
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