まず最初に。題名にもある通りネタバレの内容です。皆殺し編プレイ後の方以外は読まれないようお願いします。
「事実は小説よりも奇なり」
裏には、それぞれの真意がある。だがそれが行動や言葉として表に表れたとき、
程度の差こそあれ誤解が生じてしまう(言語概念や認識の相対性ゆえ)。上の有名なフレーズは、そういった誤解が積み重なって生まれる奇妙な現象・状況の本質を言い当てていると思う。
ひぐらしに表れる「すれ違い」は、虚構であるにもかかわらず、あまりにも生々しい人間ドラマであった。しかもその「すれ違い」が、事件へと繋がっていくのだ。そういう意味で、ひぐらしの「すれ違い」は、「事実は小説よりも奇なり」という現実を生々しく描き出したものだった、と言う事ができるだろう。というより、そう思っていた。
その目で見れば、圭一や詩音が相手の行動を深読みする様は非常にリアリティのあるものだった。と同時に重要なのは、ひぐらしに推理という要素が強く存在していたことである。そのためプレイヤーは、推理していくうちに色々な言動や「記号」を深読みしていくようになる。そしてある瞬間、(感情移入という「幻想」ではなく)自分が主人公と同じ立場で物を見ていることに気付いて戦慄する…「事実は~」を見事に表現するばかりでなく、プレイヤーさえも否応無く巻き込んでしまう。これこそが、ひぐらしの傑作たる所以の一つだった。目明し編までは…
(以下ネタバレ)
が、しかし。皆殺し編でメチャクチャになったwまず、「雛見沢症候群」で(詩音や圭一の)数々の誤解が強引な理由付けをされた。全部被害妄想!?しかも(作者にとって)えらく都合のいい仕組みw精神疾患という要因を持ち出してきたことで、目編までひぐらしが持っていた「すれ違い」の生々しさ、やるせなさ、怒り、悲しみといった要素がことごとく失われていくのを感じた(それでは話がフラットなんですよ!)。演出的な巧さも迫力も同時に放り投げてしまったという印象。
そして祟編の事件は、「すれ違い」という要素を昇華したものだろうと考えていた。言い換えれば、複雑な意図が入り組んでいることで難しくなっているのだと思っていた。がしかし、全部単独でやってましたよというオチ。しかも国家レベル(苦笑)これによって、「すれ違い」の演出が持っていた意味はほとんど無くなった。
鬼→圭一が発症して暴走。
綿・目→詩音が発症して暴走。
罪→レナが発症して暴走。
祟・皆→国家レベルの特殊部隊が黒幕
何やこれ?どうしようもないじゃん!全部外部要因だよ!!とまあ枠組みに対して怒るというか呆れるというか…推理モノとして論外なのは既に何度も述べたが、人間関係の演出や事件の展開という部分までも随分フラットで魅力の弱いものになってしまったことよ。
こうなってくると事件の展開へ突っ込みを入れるのがアホらしくなってくるが、言い出した以上はやります。ここまできたら自分の中の不満や批判を対象化しきってしまいたいので。それはまた次の機会に。あと最後に言っておきたいが、ひぐらしの愛はそれほど薄れたわけではない。それはもう娘が生まれたら「梨花」と名づけようってくらいにね(にやそ)。愛があるからこそ容赦はしません。徹底的に殺らせていただきます(・∀・)
「事実は小説よりも奇なり」
裏には、それぞれの真意がある。だがそれが行動や言葉として表に表れたとき、
程度の差こそあれ誤解が生じてしまう(言語概念や認識の相対性ゆえ)。上の有名なフレーズは、そういった誤解が積み重なって生まれる奇妙な現象・状況の本質を言い当てていると思う。
ひぐらしに表れる「すれ違い」は、虚構であるにもかかわらず、あまりにも生々しい人間ドラマであった。しかもその「すれ違い」が、事件へと繋がっていくのだ。そういう意味で、ひぐらしの「すれ違い」は、「事実は小説よりも奇なり」という現実を生々しく描き出したものだった、と言う事ができるだろう。というより、そう思っていた。
その目で見れば、圭一や詩音が相手の行動を深読みする様は非常にリアリティのあるものだった。と同時に重要なのは、ひぐらしに推理という要素が強く存在していたことである。そのためプレイヤーは、推理していくうちに色々な言動や「記号」を深読みしていくようになる。そしてある瞬間、(感情移入という「幻想」ではなく)自分が主人公と同じ立場で物を見ていることに気付いて戦慄する…「事実は~」を見事に表現するばかりでなく、プレイヤーさえも否応無く巻き込んでしまう。これこそが、ひぐらしの傑作たる所以の一つだった。目明し編までは…
(以下ネタバレ)
が、しかし。皆殺し編でメチャクチャになったwまず、「雛見沢症候群」で(詩音や圭一の)数々の誤解が強引な理由付けをされた。全部被害妄想!?しかも(作者にとって)えらく都合のいい仕組みw精神疾患という要因を持ち出してきたことで、目編までひぐらしが持っていた「すれ違い」の生々しさ、やるせなさ、怒り、悲しみといった要素がことごとく失われていくのを感じた(それでは話がフラットなんですよ!)。演出的な巧さも迫力も同時に放り投げてしまったという印象。
そして祟編の事件は、「すれ違い」という要素を昇華したものだろうと考えていた。言い換えれば、複雑な意図が入り組んでいることで難しくなっているのだと思っていた。がしかし、全部単独でやってましたよというオチ。しかも国家レベル(苦笑)これによって、「すれ違い」の演出が持っていた意味はほとんど無くなった。
鬼→圭一が発症して暴走。
綿・目→詩音が発症して暴走。
罪→レナが発症して暴走。
祟・皆→国家レベルの特殊部隊が黒幕
何やこれ?どうしようもないじゃん!全部外部要因だよ!!とまあ枠組みに対して怒るというか呆れるというか…推理モノとして論外なのは既に何度も述べたが、人間関係の演出や事件の展開という部分までも随分フラットで魅力の弱いものになってしまったことよ。
こうなってくると事件の展開へ突っ込みを入れるのがアホらしくなってくるが、言い出した以上はやります。ここまできたら自分の中の不満や批判を対象化しきってしまいたいので。それはまた次の機会に。あと最後に言っておきたいが、ひぐらしの愛はそれほど薄れたわけではない。それはもう娘が生まれたら「梨花」と名づけようってくらいにね(にやそ)。愛があるからこそ容赦はしません。徹底的に殺らせていただきます(・∀・)
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