旧統一教会と政治家の関係性に見る「ポージング保守」とポピュリズム

2022-08-31 17:05:05 | 宗教分析

旧統一教会と安倍派の関係性の深さを見ていると、「保守」とみなされてきた彼らの行動が、人気取りのポーズに過ぎないものだとよくわかる。端的に言えば、反日感情を持つ韓国由来の宗教と深く結びついて己の政治基盤強化に活用し、しかもそれに蚕食される国民の状況は放置するような行動の一体どこが「保守」なのか?ということだ。

 

むしろ、あえてそれらしい言い回しをするならば、これこそ「売国」の最たるものと言えるのではないだろうか(野党勢力に対しては、日本に害をなす勢力ぐらいの意味で「反日」だの「在日」だのレッテル貼りがされたりするわけだが、そういうスタンスを取るなら今回のケースはどう評価するのだろう)?

 

「愛国」を叫んできた人々が、こういった行動をむしろ積極的に取ってきたという矛盾(だからこそ「ポージング保守」)が非常に興味深いところだが、その始まりが岸信介時代の反共に旧統一教会を利用する方針だとして、それが冷戦終結から数十年経過した今も続き、かつ当の人物(安倍晋三)は「戦後レジームからの脱却」を訴えていたというのだから、もはや何かの悪い冗談としか思えない(というか、安倍派を支持していた神道系の組織などは、長い歴史を無視して欧米の価値観に染まった言説を伝統であるかのように垂れ流している暇があったら、こういったものにこそ批判的態度を取るべきではなかったのか?そういう筋の通らない言行もまた、「ポージング保守」の一つに数えることができそうである)。

 

これについては、マスコミ報道のあり方や、まんまと動員される人々の精神構造も含め、まさにポピュリズムの典型とみなせる興味深いケースである(これについても再三取り上げてきたが、例えば片山杜秀『平成精神史』で語られる現代の精神史、あるいは筒井清忠『戦前日本のポピュリズム』で述べられる「憲政の常道」という名のポピュリズム合戦とそれによる政党政治への反発、小山俊樹『五・一五事件』で見られる前述の反発の噴出とそのハレーションなどが参考となるだろう。ちなみに別の視点という意味では、今回の暗殺事件はローンウルフによる犯行という点で朝日平吾にも触れたことがある)。ポピュリズムについては前々から指摘されていたし、すでに手垢のついた言葉となってしまっているが、今回の一連の現象は、それが白日の下に晒されたという点で重要と言えるだろう(そしてその恩恵に預かっていた政治屋たちは、今や火消しや正当化に躍起になっているというわけだ)。

 

1990年代には統一教会の集団結婚式や寄進の問題が批判的に報道されていたが、それらは徐々に姿を消していき、多くの人はそれを忘れていった。さて、今回はどうなるだろうか?

 

まあ日本社会お得意の空気で一瞬盛り上がる「忘却壁」が今度も発揮されると思うが、とりあえずその動向には目を向けておきたい。


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