楠原教会から一路福江港方面へ戻り、ヌコに挨拶しながら入江レンタカーに原付を返却して町を歩く。にしても、戻る途中に通った内陸の道はショッピングモールとかファミレスとかが並んでるいかにもロードサイド!って感じの構造になってて、自分が異国情緒を感じていたのはあくまで海岸沿いの道ばかり走っていたからだということを認識。ま、そういう実態を知るのもまた愉しからずや😛
まずはデカい荷物をホテルに預ける。なお、最初に予約したホテルが俺の地理能力欠落のためトンデモない場所(福江島南端近く)だったため、福江港近くの五島第一ホテルに変更した次第でありマス。ちなみにここはここでものものしい直筆の張り紙があってちょっとおもろかったデスw
武家屋敷を歩くでしかし。
門構え+石垣だけではあるが、なかなかの迫力。
ちなみに近くの商店街は上級武士の邸宅跡がそのまま変貌したものらしいが、今ではそちらがサビれていて(一部の人気店だけ人が集まる)、少し離れた場所に大きなモールができてそちらに人が集まる、というのはどこも同じだなあという感じ。
武家屋敷ゾーンに入る。こちらもやはり石垣と門構えだけ残っている感じ。
・・・とまあこんな感じのことを書いていると、いかにもショボい観光資源に思われるかもしれないが、そもそも1962年の大火で中心街の8割が灰燼に帰したという事件があり、それは防火防災モデルケースの構築を促すほどであったという。
空襲で歴史的建造物が破壊されたアウクスブルクや東京東部の無計画建築が被害を大きく拡大した関東大震災、そして国家が復興に動き近代的災害とも言われるリスボン地震といった具合に、災害の歴史とそれが社会にどのような影響を与えたかを見ていくことは、様々な気付きを与えてくれるものだ。
そんなことを思いながら、歴史の風雪を耐えてきた石垣などの建造物と新しく作られた(作らざるをえなかった)ものの混淆を見やりつつ、夕餉の場所に向けて歩みを進めるのであった。
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