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まず重要なことは、羽入が梨花と離れて行動できるという事実だ(だからこそ、茨城に行っているのも説明できる)。そして羽入が離れて行動している間のことを梨花に話して聞かせていることからすれば、そこで見たり聞いたりしたことは記憶としてストックされるのは明らかだ。そうすると、運命の綿流し日においてあることに気づく。つまり、
犯人を見つけ出したいんだったら、羽入を富竹・鷹野のもとに張り付かせておけばよかった
という事実だ。鷹野を犯人と疑っていなくても、毎回彼女らが「死んで」いるわけだからその現場に羽入をいさせれば自動的に犯人は割れる。富竹たちを説得したり自分で犯人を見つけ出そうとするまでもなく、それで万事解決である。重要なのは、「仲間」だとか関係なく、梨花は富竹や鷹野を絶対的に必要としているということだ。彼女らがいなくなったために、梨花を守るものがなくなって彼女は殺される(と認識している)。それゆえ、富竹たちの死を防ぐのに血道をあげなければおかしいのだ。最初に犯行を防止しようとするのは言うまでもないが、それができなくとも、犯人を突き止め次の回に生かすためにもあらゆる手段を講じるのが当然だろう。そうすると、この日に羽入を張り付かせない、もしくは張り付かせるためにあらゆる努力をしていない本編の梨花は絶対におかしいのである。つまりは、犯人探しという最も肝心の部分が破綻してしまっているのであり、
明らかな設定ミスと言わざるをえない。
これに対して、梨花が「この日の羽入は操作不能」というようなことを言っているではないか、という反論が出るかもしれない。しかしそれが毎回毎回続くというのはあまりに説得力がないし、その原因を究明しようとしている様子がないのも明らかにおかしい。先に述べたとおり、ここで羽入が使えさえすれば真犯人が割れるのだ。あるいはそこまでいかなくともとも、何らかの貴重な情報にはなるし、そこから守りの要たる富竹たちを説得する契機も生まれるだろう。それゆえこの日に羽入を使えるよう梨花は決死の努力をするはずである。つまり、羽入が当日動けるように最新の注意を払い、動けなくなる原因を探る努力をしなければおかしいのだ(羽入が話すのを嫌がるから云々などと言っている場合ではない)。よって、たとえ羽入が操作不能であろうとも、梨花の行動が明らかに必然性を欠いたおかしなものであるという事実に何ら変わりはないのである。
ここでさらに一歩論を進めてみよう。この操作不能を引き起こすような原因は何だろうか?そう考えると鷹野の祭具殿侵入くらいしかないのだが、これが羽入の操作不能を100%引き起こす事件かと言われると説得力に欠ける(なお、祟編では雨の関係上祭具殿に満足に進入できたかすら怪しい)。仮に百歩譲って毎回操作不能に繋がっていると考えたとしても、やはりそれを防止しようとしない梨花の態度は明らかにおかしい。というのも、皆編で鷹野たちと一緒に祭具殿に入ったときの会話からすると、羽入が鷹野の祭具殿侵入によって精神を乱されることは簡単に推測できるようだし、綿編・目編の内容からすれば、梨花が鷹野たちの祭具殿侵入というイベントを知っていたことは間違いないからだ(村の会議でも話題になっているし)。何回も同じ光景を見てきた梨花が、祭具殿侵入と羽入の操作不能という状態を結び付けられなかったというのはあまりに説得力がない。とすれば、犯人探しの要となる羽入を綿流しの晩に使うためにも、鷹野の祭具殿侵入を阻止する方向で梨花は動かなければならない。しかし梨花は冷淡な態度を示すだけで、今までそのような対応をした様子はない(結局、梨花の対応は徹頭徹尾ズレているのだ。これで「魔女」とか自称しているのだから笑止という他ない)。
以上の内容をまとめよう。
羽入の特性と事件の重要性を考えれば、梨花は富竹たちに彼女を張り付かせることを至上命題としなければならなかった
という前提があり、
梨花はそのことを全くと言っていいほど理解していなかった
という事実があった。よって結論。
羽入の特性の設定の仕方と、その設定内容を梨花の行動に上手く生かせなかったことで、ひぐらしの質は著しく低下した。
犯人を見つけ出したいんだったら、羽入を富竹・鷹野のもとに張り付かせておけばよかった
という事実だ。鷹野を犯人と疑っていなくても、毎回彼女らが「死んで」いるわけだからその現場に羽入をいさせれば自動的に犯人は割れる。富竹たちを説得したり自分で犯人を見つけ出そうとするまでもなく、それで万事解決である。重要なのは、「仲間」だとか関係なく、梨花は富竹や鷹野を絶対的に必要としているということだ。彼女らがいなくなったために、梨花を守るものがなくなって彼女は殺される(と認識している)。それゆえ、富竹たちの死を防ぐのに血道をあげなければおかしいのだ。最初に犯行を防止しようとするのは言うまでもないが、それができなくとも、犯人を突き止め次の回に生かすためにもあらゆる手段を講じるのが当然だろう。そうすると、この日に羽入を張り付かせない、もしくは張り付かせるためにあらゆる努力をしていない本編の梨花は絶対におかしいのである。つまりは、犯人探しという最も肝心の部分が破綻してしまっているのであり、
明らかな設定ミスと言わざるをえない。
これに対して、梨花が「この日の羽入は操作不能」というようなことを言っているではないか、という反論が出るかもしれない。しかしそれが毎回毎回続くというのはあまりに説得力がないし、その原因を究明しようとしている様子がないのも明らかにおかしい。先に述べたとおり、ここで羽入が使えさえすれば真犯人が割れるのだ。あるいはそこまでいかなくともとも、何らかの貴重な情報にはなるし、そこから守りの要たる富竹たちを説得する契機も生まれるだろう。それゆえこの日に羽入を使えるよう梨花は決死の努力をするはずである。つまり、羽入が当日動けるように最新の注意を払い、動けなくなる原因を探る努力をしなければおかしいのだ(羽入が話すのを嫌がるから云々などと言っている場合ではない)。よって、たとえ羽入が操作不能であろうとも、梨花の行動が明らかに必然性を欠いたおかしなものであるという事実に何ら変わりはないのである。
ここでさらに一歩論を進めてみよう。この操作不能を引き起こすような原因は何だろうか?そう考えると鷹野の祭具殿侵入くらいしかないのだが、これが羽入の操作不能を100%引き起こす事件かと言われると説得力に欠ける(なお、祟編では雨の関係上祭具殿に満足に進入できたかすら怪しい)。仮に百歩譲って毎回操作不能に繋がっていると考えたとしても、やはりそれを防止しようとしない梨花の態度は明らかにおかしい。というのも、皆編で鷹野たちと一緒に祭具殿に入ったときの会話からすると、羽入が鷹野の祭具殿侵入によって精神を乱されることは簡単に推測できるようだし、綿編・目編の内容からすれば、梨花が鷹野たちの祭具殿侵入というイベントを知っていたことは間違いないからだ(村の会議でも話題になっているし)。何回も同じ光景を見てきた梨花が、祭具殿侵入と羽入の操作不能という状態を結び付けられなかったというのはあまりに説得力がない。とすれば、犯人探しの要となる羽入を綿流しの晩に使うためにも、鷹野の祭具殿侵入を阻止する方向で梨花は動かなければならない。しかし梨花は冷淡な態度を示すだけで、今までそのような対応をした様子はない(結局、梨花の対応は徹頭徹尾ズレているのだ。これで「魔女」とか自称しているのだから笑止という他ない)。
以上の内容をまとめよう。
羽入の特性と事件の重要性を考えれば、梨花は富竹たちに彼女を張り付かせることを至上命題としなければならなかった
という前提があり、
梨花はそのことを全くと言っていいほど理解していなかった
という事実があった。よって結論。
羽入の特性の設定の仕方と、その設定内容を梨花の行動に上手く生かせなかったことで、ひぐらしの質は著しく低下した。
お魎の「灯台下暗し」は多少あるかもしれませんが、梨花については疑問です。
確かに「鷹野の陣営には自分を殺すメリットがない」と彼女が考えていたのは事実ですが、彼女の「予言」の内容や、綿流し編・目明し編で園崎家に単独で乗り込んだことからすれば、むしろ周囲に強い不信感を持っていたことは間違いありません。であるならば、自分の身に危険が及ぶ最大の要因となる富竹・鷹野の殺しの犯人が誰なのか、ループ可能であることも含めて最大限の注意を払わないのには全く必然性がありません。
というか、この問題は深層心理などをあーだこーだ後付け的に議論するのは全くの無駄ですから止めませんか?ひぐらしの太鼓持ちになるのが望みでなければ、「羽入の設定ミス」と一言で斬って捨てるべきだと思うのですがいかがでしょうか?
以下思いついた事
梨花殺しの犯人を知りたい梨花と、オヤシロ様の祟りの実行犯を独自に調査しているお魎って立場的に似てるような。
梨花は羽入を使って色々な事を調べる事が出来るけど何故か富竹殺しの犯人の追跡は思いつかない。
お魎はヤクザや村人を使って連続怪死事件を調べてるけど悟史失踪の犯人すら分からなかった。
お魎はオヤシロ様の祟りを防ぎたいなら北条家を常時監視する位の事はやるべきだったのにやってない(警察の監視があるので制限がかかったのかも知れないが)
梨花もお魎も村の中ではほぼ万能で自分の能力を過信していたから、灯台下暗しで油断していたのかも。
う~~ん、本編を見る限りその解釈は厳しいと思います。まず梨花本人に関しては、むしろ本編では逆の要素しか読み取れません。執拗に描かれる梨花の無気力・諦念からすれば、彼女が昭和58年の継続を望んでいたと考えるのは無理があります。
次にベルンカステルですが、「お子様ランチの旗」で昭和30年代にも存在できていることを考えると、彼女は昭和50年代の雛身沢という限定された世界ではなく、より上位の、時間も場所も超越したところにいると考えるべきでしょう。ゆえに、雛身沢という閉じた世界の出来事だけにベルンカステルが拘泥していると考えるのは説得力がありません。彼女が梨花に興味を持っているとしても、それはある一人の特殊な存在としてだと考えるべきでしょう。
以上のように、少なくとも本編からは宇宙外生命体さんの推論のようには考えることはできません。もっとも、話の展開に整合性を持たせるため、「後付け」をすることはいくらでもできるでしょうが。
上位世界のベルンカステルはカケラを使って梨花がどんな人生を歩んでるのかを楽しんでいますし、梨花が6月を超えてしまったらカケラで遊ぶ事も出来なくなって退屈になって死んでしまうので梨花の意識に働きかけて富竹の尾行を思い付かない様に操作したのではないでしょうか。
じゃあ梨花にとって仲間の信頼云々よりまず羽入をどうにかすることが第一条件だったということですね。
それを考えもしなかったのは物語としてはやっぱり破綻してますよ。
強い意志が全てを決めるひぐらしの世界で、一番強い意志を持っていたのは鷹野三四ではなく、羽入なのです。
考えても見てください。羽入は何百年もの間、誰とも話す事もなく孤独の中で生きてきました。この孤独を打ち破ったのが他ならぬ梨花なわけです。
この事(梨花が生まれてきたこと)は羽入にとって相当、嬉しかったに違いありません。何百年の間、一人で生きてきたのですから・・・
しかし、梨花もいずれは死にます。梨花の死は羽入にとって一番つらいことです。その悲しみの深さは想像も出来ません。
羽入は強く強く、願ったに違いありません。
"いつまでも梨花と一緒にいたい"と、、この強い願いは鷹野とは比べ物にならないでしょう。
この強い願いの結果、梨花は雛見沢の昭和58年の6月(羽入)に縛られる事になった。
こう考えれば矛盾することなく全て解決です。
>名前
昔はボゲードンだったので全然OKですよw
>梨花の状況分析
おっしゃることはよくわかります。しかし梨花はかつて富竹たちを説得しようとしていた(と自ら回顧している)ことからすれば、羽入の貼り付けに梨花がこだらない(もしくはこだわらなかった)のはやはり説得力に欠けます。少なくとも彼らが言うことを聞かなかった時点で羽入につけさせる、くらいのことはするのが普通であるように思います。現在の状態についても、「今ではどうあがいても羽入は使えないことがわかっているので~」というのなら梨花の諦めと解釈するのが妥当でしょうし、あるいは全く羽入について言及がないならじょんどりとるさんのおっしゃるように貼り付けを考えつかなかったと見るのが妥当であるように思います。しかし彼女は「羽入が操作できない」と言っているわけですから全く意識していないわけではないのです。ゆえに、思いつかなかった、というのは解釈として無理があるように思います。おそらく梨花の発言は、「羽入に尾行させればいいじゃないか」という突っ込みに対しての予防線という意図で入れられただけのものと推測されます。
>黒幕に気付いたのが皆殺し編だったのはむしろいいことだったのかもしれません。
確かに、罪編以前ではあまりに手駒がなさ過ぎて容易に絶望した可能性が高いですね。なるほど大石に近づこうとしたり赤坂とコンタクトを取ろうとはするでしょうが、それによって彼女自身が生き残ることは可能だとしても、部活メンバーも合わせた「幸せ」が享受できるかは疑わしいものがありますから(ちなみに、現実的な話をすれば、相手が相手なので部活メンバーは魅音の政治力以外ほとんど役に立ちません)。
この点については、作者が用意した前提をどう評価するかに全てかかっているように思います。冷静に評価すれば、諦めの境地にいる梨花が「部活メンバーと一緒に生き残らなければ意味がない」と考えること自体説得力が感じられませ(※)し、仲間同士が信頼し合う状況自体が「夢」というわけのわからないものによって成立していたことから、皆編の仲間同士の信頼自体が必然性も説得力もないと評価できるでしょう。
なので、作者が提示するテーマを(問題は多々あるにせよ)とりあえず受け入れるのなら、皆編で梨花が犯人を知ったことは構成上必然的なものだったと言えます。しかし、テーマの拠って立つ状況を必然性のないものとしてそもそも受け入れないのなら、つまり作者の言いたいことより論理性を優先させるなら、梨花は羽入を貼り付けることに躍起になっていなければおかしいし、(貼り付けの結果として)皆編以前に犯人がわかっていないのも奇妙だと言えるでしょう。
まとめると、そもそも穴だらけの物語の構成を認めるか、論理性と必然性の欠落から物語が破綻していると評価するかのどちらかになるわけです。あとは本文に書いてある通りになります。
※
この部活メンバーへのこだわりは、仲間や信頼というテーマも去ることながら、梨花が自分だけ生き残ればいいと考えていた場合、色々と無茶な行動が可能になってしまうからだと考えられます。
改めて、初めまして。じょんどりとると申します。
ひぐらしの戦力バランスについてのお話を始め、このホームページには二次創作のための参考になるヒントがたくさん転がっているようなので、以後も折を見て訪れたいと思います。よろしくお願いします。
なるほど……富竹の逃走は「富竹がL3以上」であるという証拠になる、ということですか。確かにそれは十分に有り得ます。それに、羽入の足の速さについても、情報はまったくありませんでしたね。
となると、やはり梨花には羽入を上手く使おうという気がないということになりますね。ギーガさんの主張は正しかったわけです。
ただ、個人的な意見を述べさせてもらうならば、そもそも考え方が少し世捨て人くさいだけで精神年齢は10歳のそれと大差ない梨花は、冒頭の詩にあったように「井戸の中の蛙」とそう大差ない立場であり、ルールX,Zに起因する周囲の血生臭い事件に翻弄され続ける彼女に冷静に状況を推理する余裕などなかったと考えるのが妥当だと思います。皆殺し編の冒頭の、梨花によく似た語り手は至って冷静に状況を整理していましたが、あれは現実世界の梨花とは別人であると本人も発言していました。
そもそも「富竹と鷹野を見張る」という発想自体が十回近いループを繰り返して“ルールY”というポイントに気づかなければ浮かばないものですし、それまでに梨花が精神をすり減らした程度を考えれば、そこから思考を広げられなかったのも納得できます。罪滅し編の冒頭の詩によれば、梨花はループが七回を越した時点でほとんど諦めていたようですし。
それに、黒幕に気付いたのが皆殺し編だったのはむしろいいことだったのかもしれません。
少なくとも罪滅し編、皆殺し編までは梨花はルールX、つまり仲間うちでの殺し合いにずっと悩まされてきていて「部活メンバーは頼りにできる」という発想に至れていませんでした。そんな状態でもし今まで味方だと思っていた鷹野が敵であるという真相に至ってしまったなら、羽入以外に味方のいない世界に完全に絶望してループ自体をやめていた可能性があります。
が、実際には罪滅し編、皆殺し編を通して梨花は部活メンバーを通して惨劇を回避できるという確信を持つことができ、結果として次(?)の世界で惨劇を乗り越えることができました。
心強い味方を得たその直後に敵がはっきりしたことでモチベーションが大きく高まり、惨劇を乗り越えるエネルギーが生まれた。こう解釈するならば、少なくとも物語の構成としてはかなり良質といえるのではないでしょうか。
>羽入の足はどう考えてもそんなに速くはないですし
と書かれていますが、それについて本編で何か言及があったでしょうか?私は記憶にないので教えていただければ幸いです。
>富竹にどこかの尾行と勘違いされて撒かれてしまうのが常だった
ひぐらしの文章から想像するだけならその可能性もあります。しかしながら、そもそも梨花には羽入を上手く使おうという意識が欠落しているので、それを書いている作者の側もそこまで細かい設定を意識していたとは考えにくいでしょう。
いえ、もっとはっきり言いましょう。羽入が富竹を尾行していたとは考えられません。というのも、羽入を尾行させて(もしくは羽入が勝手に尾行して)富竹が感づいて逃げるなら、それは取りも直さず彼が症候群になっている可能性を梨花に提示するからです。そして富竹の尾行⇒富竹の逃走(?)という流れがあったなら、鷹野たちに梨花が疑いの眼を向けるのが必然でしょう(少なくとも何かしらの内紛が起こっていると思うでしょう)。にもかかわらず鷹野を疑っていなかったのは富竹の異変に彼女が気づいていないということを意味し、それは羽入の尾行もまた存在しなかったという証拠になります。
梨花は富竹が症候群であった可能性について全く言及していません。もしその情報を知っていたなら、必ずどこかで書かれていたはずです。しかし実際にはそれがないばかりか、彼女は皆編の最初まで鷹野たちを仲間だと思っていました。
以上のことから、羽入による富竹尾行はなかったと考えるのが妥当だと思われます。
二次創作の執筆のため羽入に関する設定を調べていてこちらに辿り着きました。
ひぐらしに関する様々な面からの考察があり、大変面白そうなブログですね。以後も頻繁に訪れさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
少々古い記事なので、ここにあえてコメントするのはどうかと思ったのですが、綿流しの日の羽入の行動については個人的に思うところがあったので、あえてここにコメントさせていただきました。
……これは私だけの個人的な意見なのですが「羽入は富竹を追うことができなかった」という可能性は考えられないでしょうか?
富竹は、綿流し編・目明し編でわかる通り、昭和58年の時点で雛見沢症候群のL3、つまり羽入の足音を知覚できるレベルにまで達しています。そして、圭一やレナ、詩音と異なり富竹は訓練を受けた軍人です。ゆえに羽入が密かに近付いて後を追おうとしても、富竹にどこかのプロによる尾行と勘違いされて撒かれてしまうのが常だったのではないでしょうか。羽入の足はどう考えてもそんなに速くはないですし。
そういう理由で羽入が富竹を追跡することができず、惨劇の重要な手がかりを掴むことが肉体的なスペックの意味で不可能だった……という可能性はあるんじゃないかと思います。
最も、それなら鷹野を追えばいいわけですし、そこをあえて追わなかった(きっと“嫌いだから”とかそんな子供っぽい理由でしょう)羽入の責任は依然重大なわけですが……。
>カケラ選択のデータをロードすればOKです。
そうしました。それで、赤坂のカケラが出ただけなんですが、順序ミスったということですかね。ちょっとわからないです。むぅ・・・・w
アナザーエンドを見るために祭編を最初からプレイする必要はありません。カケラ選択のデータをロードすればOKです。
まず、祭編のエンディングを見ます。次に祭編を再開し、カケラ選択を一度もミスらずに最後のカケラ選択のとこまで行けば、今まで存在しなかった53番目のカケラが現れます。それを選べばアナザーエンドが見れますよ。
ただ、内容にはあまり期待しないほうがいいと思います。では。
「ひぐらし」に別の結末があるってどういうことでしょうか?公式板見ましたけどちょっとわかりませんでした。よかったら御教示ください。よろしくおねがいします。
目編がピークだったということに関しては私も同感です。あれを解答編の一発目に持ってきたことが、実はひぐらしにとって最大の悲劇なのかもしれませんね。まあ「周りの人を信じよう」という主張がよくわからない奇跡によって始めて成り立っていた点で、ひぐらしは既に終わっていたような気もします。
ただ鷹野の扱いを始めとして色々書くべきことはあるので、機を見てまとめていこうと思いっています。その時はバイシさんのご意見を是非うかがいたいものです。
では。
発売日に買っておきながら、たった今「祭」を終わらせました。こんなに長くかかったのにはいろいろ事情が・・・w
「ひぐらし」は「目」のころが一番楽しかった気がします。ここのHPにはじめて来たのもそのころでした。
「ひぐらし」の最終的な結論は「周りの人を信じよう」というような教師のお説教みたいなものですが、作品としては私は十分楽しみました。
でもこれからいろいろ「ひぐらし」は展開するようですが、もうついて行く気がしません。私としては今日が「ひぐらし」卒業記念日です。
また時々カキコに来ますね。これにて失礼します。