さて、「YU-NO」、「青空」に引き続き「月姫」というわけで、レトロスペクチブな感じは続きますよと。月姫をプレイしたことがある人にはGood EndとTrue Endの性質の違いは明白だと思うので、今さら説明しない。ただ、この作品に対して私が受けた感銘の質は、これよりも後に掲載した「デスノート~乾いた死~」を見るとよりわかりやすくはなるだろう(なお、Fateにおいてノーマルエンドをこそ評価する理由もそこにある。また、多角的に見ればFateが明らかに月姫より上だと思うにもかかわらず、前者の方が印象が薄いと感じるのもその点が関係しているのかもしれない)。
ちなみに私はGood Endに「日本的想像力の未来」的なものを見出す。それは赦しを招来して不毛な争いや苦悩を解消する土台となることもあるが(「サッカーで決めよう」、「灰羽連盟:クラモ理論編2」)、一方で原理日本社の如き病的なノイズの排除を招いて、我々を閉塞・破滅へと到らしめることもある(「調和と地雷」、「精神主義という名の病」)。
そんなふうに、単純に良いとも悪いとも言えないものだ(鷹揚さがしばしば無神経さにもなりうるのと似ている)。ただし、次のことは確からしく思える。すなわち、ノイズが排除されて異物への耐性が下がった人間は、よりいっそうノイズの少ないものを求めるようになるだろう、と(「ノイズ排除、自慰識過剰、ディスコミュニケーション」)。そしてまた、「調和」というドグマと、実態としての価値観の多様化という現実の板挟みになった者たちは、承認不足に苦しみ、その同調圧力を受け入れてゆくであろう、と。
ちなみに、ノイズの排除されたもの、すなわちサプリメントを欲しいだけの人間をひっかけることは簡単だ。要は彼の望むものをパッケージングして与えてやればいいだけなのだから(狂気の風景化と思考停止はその最たるものだ)。
とはいえ、社会の複雑化と価値観の多様化により善きものが自明でなくなった(自明な領域が減った)今日、そのような傾向を持つ人々はますます増えていくだろうと予想される(「世にも恐ろしい日本昔話:浦島太郎編」、「同:さるかに」)。まあそれをもはや前提として考えないといかんよね~って記事が「フラグメント105:二次創作、同調圧力」だったり「『共感』の問題点:戦略性と再帰的思考」だったりするわけだが・・・と前置きが長くなりまくったが、以下が原文である。
[原文]
前回は傑作PCリストに次ぐ作品としてさよならを教えて、Forestを取り上げたので、その続きとして月姫の簡単なコメントを書いていきたいと思う。なお、できるだけネタバレを避ける方針なので少し抽象的な印象を受けるかもしれないが、そこはご了承いただきたい。
関連…「傑作PCゲームの批判的寸評3」、「歌月十夜と月姫」(後者はネタバレ)
この作品の特長としては、雰囲気、キャラクター、音楽などを挙げることができると思うが、自分が最も印象に残っている部分は何かと問われれば、間違いなく「違和感の萌芽」とエンディングの構成だと答える。
前者についてネタバレにならない範囲で言うと、ある時黒幕が志貴の行為に対して奇妙な(無)反応を示したシーンがあり、それがずっと引っかかっていたのだが、それこそが真相に繋がっていたとわかり、適当に理屈付けするのではなくもう少しちゃんと考えておけばよかったと後悔したものだ(要するに、伏線に気付きかけたのに見落としてわけ)。これが後にひぐらしの大量の推理メモにも繋がるわけである。
しかし、より本質的なのは後者であるように思える。私はハッピーエンドのためのハッピーエンド、すなわち様々な文脈のもとに築き上げてきたものを和解のため(だけ)にあっさりと放棄するような内容・結末に飽き飽きしており、月姫も所詮はそれと同じ道を辿ると思っていた(このような思考様式の由来は「宗教と思索:今日的思考の原点」などを見てもらうのがいいだろう)。しかし月姫が用意していたものは、相容れないものは相容れないままに、あるいは死に、あるいは姿を消していくというTrue Endだった(自分が特に好きなのはシエルTrueと翡翠True)。とはいえ、峻厳なエンディングだけだったなら、そこまで印象には残らなかったかもしれない。True Endを見た後に追加されるご都合主義的としか言いようのないGood Endがあってこそ、その効果は倍増する。そこに込められたのは「ほれほれ、こんな風に今までの文脈や展開とかどーでもよくてハッピーになりゃそれでお前ら満足なんだろ?」という皮肉であり、批判だ(もし二つのエンドが同時に見れるのならば単なる私の深読みかもしれないが、妥協しない本筋を最初に見せた後で、ハッピーエンドを好みそうな人たちがいかにも要求しそうな風味のエンディングを見せるという構成はどう考えても皮肉だとしか思えない)。これは、最後の最後に黒幕のハッピーエンドが付け足されることで完成する。ああ、これいらねーな。いらないのに「あえて」作ったでしょ?そんな内容がステキすぎ。
でもねえ、もしこういうありえない、というか展開を無視したハッピーエンドしか認められない人がいるのだとしたら、それがなぜなのかってのも興味深いところではある。彼らは全ての人が救われないと許せないのだろうか?もしそれが意識されぬまま現実の認識に影響を与えているのだとしたら、おそらく彼(女)の人生は苦痛に満ちたものではないだろうか、と老婆心ながら考えてしまったりする。あちらを立てればこちらが立たず、何てことはいくらでもあるし、それぞれきちんとした背景があるからこそ、容易に相容れないわけだし…何だか和解と妥協が混同されてしまってませんかね?まあ相手の文脈を無視すればそういう風にもなってしまうのかもしれないが。
まあそれはさておき、自分にとって月姫が印象深いゲームであり続けている最大の理由は、実は音楽でも雰囲気でもなく、True EndとGood Endの持つこのような批判性なのである(もちろんそれは、内容が伴って初めて生きるのだけど)。さて、リニューアルされた月姫はどのようになっているのか。少し楽しみである。
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