では引き続き「腐り姫」レビュー復活第二弾。ここでは腐り姫中でも強烈なキャラクター「樹里」を扱っている。あれこれ書いているが、端的に言うと「樹里の思考様式・行動原理を病気のように言うのはたやすいが、彼女と主人公五樹が育った環境を思えばそれはむしろ必然的なものであると感じられる」という話だ。エロゲーに限らず特異な人物は「そういうキャラ」としてパッケージ化・無害化される嫌いがあるが、それはある種私たちの想像力の限界を示しているようにも思える。しばしばkanonを代表として「バカ」や「可哀想なキャラ」は登場する割に、微妙な葛藤や打算を背景としたキャラは退けられ(たとえば「下級生2」)、突出した何かを持っているキャラは執念であれ信念であれその妥当性ではなくそういうのが好きだからそうする人物と表現されることばかりだ。まあ複雑怪奇な他者よりコントローラブルなキャラの方が重宝されるというのは特にエロゲーの性質を考えると必然的なことではあるが、それでもその中で「冷静に狂っている」様が突き抜けている樹里は一つの人物描写の極致として記憶に留めるべき存在と言えるのではないだろうか
[原文]
腐り姫に登場する五樹の妹樹里。彼女ほど凶悪な存在は他に類を見ない。しかし狂気が強調されすぎた結果、行動に必然性が存在していたことは意外と等閑視されているような気がする。そこでその過程を詳述してみたい。
(感情の芽生え)
まず第一に、二人の育った環境はなかなか酷いものがある。母朱音の理性は全く失われおり、それは二人を芳野のもとに預けなければならないほどだった。しかも、父である建昭は全く頼りない。そもそも、五樹という人格において「他人の感情を写す鏡」という能力(あるいは業)に縛られていた彼は、その能力を失った以上空っぽの[=主体性がない]存在にならざるをえなかった。彼に父親として頼れる態度を期待するのは無理なのである。そして、一家は簸川本家から冷遇されていた。こういった酷い環境の中、幼少の樹里は病弱で、傍には五樹がいて看病することが多かった。これでは、兄への依存心が生まれない方が不思議である。
(エスカレートする感情)
このようにして植えつけられた兄への気持ち。そこまではわかる。では、これがどうしてあそこまでの凶行に繋がってくるのだろうか?実はこれにも必然性があるのだ。先ほど、五樹が「他人の感情を写す鏡」という能力(or業)を持っていることを述べた。これが、五樹の人ならぬ存在たる所以である[相手の望む夢を見せて腐らせる、という能力との類似性に注意したい]。そういった能力を持つ五樹は、相手の感情とシンクロし、ゆえに相手の望む行動を取る。そして、五樹ともっとも長くいた樹里は、その作用の影響をもろに受けてしまったわけである。求めれば必ず返ってくる反応に、樹里の五樹への気持ちはエスカレートしていった。しかもエスカレートするごとに、五樹はそれに合わせた反応を見せる。こうした悪(?)循環によって樹里の感情は狂気と呼ぶにふさわしい領域まで踏み込んでいくのだ。
(狂気にいたる外部的要因)
しかも不運なことに、五樹の能力は樹里にだけ向けられたものではなかった。それは父や母、クロといった周囲にも影響を及ぼしたわけだが、その状況はサークルでの五樹や、記憶を失った五樹のもとを訪れる女子大生たちの様子から大体想像がつく。しかし樹里には、五樹に近づく存在が許せなかった。多分始めはその程度で済んでいた。ところが、さっき書いたような循環の中で樹里は狂気の中にはまっていく。それと子供特有の残虐さが相まってクロの事件が起こったと考えられる。
(カタストロフ)
エスカレートしていく感情の中で、二人の関係はだんだんと深刻さを増してくる。そして五樹の代わりとして建昭(=五樹の「抜け殻」)と関係を結んだおそらく二、三年後には、父建昭を篭絡して母を殺させた。その後どういう経緯でかは不明だが、父建昭すらも自殺に追いやり、五樹とともに心中することになるのであった[ここで五樹だけ生き残るのは、樹里が普通の人間とほぼ同じだからに他ならない]。
(狂気の内部的要因)
これに加えて、五樹が「抜け殻」だと看破するなど樹里が普通の人間ではないこと、五樹だけを求め続ける朱音からの遺伝性精神疾患(一説によると顕著な独占欲を示す「破瓜型分裂病」)という内部的要因も深く関係していることであろう。
以上のような、持って生まれた独占欲、兄への依存心の芽生え、感情のエスカレートする要因の三つが相まって、最凶の妹樹里の行動は引き起こされたのであった。こうして見れば、樹里の行動にも、必然性が存在していたことが理解されると思う。もっとも、これによって樹里を擁護する気などさらさらない。ただ、腐り姫の表現の緻密さには感嘆するばかりである。
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