一般的に知られる内容を大まかに言えば、以下の通りだ。吉良上野介に遺恨をもっていた浅野匠上が、殿中で彼を切りつけた。取り調べの後、幕府(綱吉)の裁断は浅野が即日切腹&改易、吉良はお咎めなしというものであった。その後、紆余曲折はあるが、切りつけた原因は吉良による浅野への侮辱→喧嘩両成敗→吉良に何の処断もないのはおかしい→吉良を討つべしとなり、最終的には討ち入りで吉良をその屋敷にて殺害し、仇討ちを果たした。その後討ち入りを行った赤穂浪士たちは切腹を申し渡され、全員が切腹したという話である。
こう聞くと、別に不思議な点はないように思うか知れないが、実は様々不可解な点がある。もちろん、近代司法の観点から言えば突っ込みどころしかないが、そもそも中世的な自力救済の遺風がまだ残っていた時期に、今日的思考・評価を単純にそのまま当てはめるのは不適切であろう。
しかし、そのような価値観に基づかずとも、浅野が吉良に傷を負わせた理由がそもそも端「よくわからない」のである。事件後に浅野は取り調べの中で「遺恨があった」と話したとされるが、逆にそれ以上のことは何も言っておらず、(綱吉の強い意向もあって)浅野は即日切腹させられたため、詳細な経緯は不明なまま、ある種「乱心」のような状態で浅野は行為に及んだ、という結論になったわけだ。
とするなら、以下のような問題提起ができるだろう。
1
傷害事件を起こした人物が「相手に対して恨みがあった」と言えば、詳細は不明のままでもその傷害は正当化(酌量の余地ありと)されるか?
2
詳細が不明のままになった要因の一つは、浅野の稚拙な証言もあるが、真相究明の動きをとらずに「拙速」で裁断した幕府側の対応によるところも大きい。なぜ赤穂浪士たちは幕府権力に反乱を起こすのではなく、吉良を殺すという選択をしたのか?またそれはどのように正当化しうるのか?
1は、今日知られる「忠臣蔵」を形成した様々な講談などで、血道を上げて作り上げられた部分とも言える。すなわち、「浅野があのような行為に及んだのは、止むに止まれぬ事情があったはずである。すなわちそれだけ吉良の悪辣・執拗な嫌がらせや深刻な対立があったに違いない」と。こうして、喧嘩両成敗的なイデオロギーの元、それを正当化するに足る材料を吉良側に付与していった、というわけである(これはもちろん「忠臣蔵」に限らず、「三国志演義」など様々な創作物に見られる。なお、念のために言っておくが、吉良が「無実」かどうかは不明であり、あくまで「無罪」であるという話)。
このような認知の仕方は、ウクライナ侵攻でやたらロシアとウクライナの評価のバランスを取りたがる一部の言説にも見ることができ、その意味で今日にも通じる現象と言えるだろう。つまり、ロシアがあれだけの暴挙に出たのだから、それ相応の事情があったに違いないと勝手に忖度し、その世界観に合致する情報に専ら反応するわけである。
ところで私が不思議なのは、このような認知の仕方をしている人は、連続殺人などの凶悪事件についても同じように考えてるのか?ということだ。すなわち、その犯罪が凶悪であればあるほど、そこにはいっそう酌量に足る事情があると予想するのだろうか?管見の限り、そのようなケースはあまり見受けられないので、ある程度地位のある人間や存在に限定した世界観だと推測されるが、この予見が正しければ、そこには抜きがたい権威主義と歴史的無知が背景にあると言っていいだろう(まあそれも権力を「お上」とみなすような思考様式の一環なのかもしれないが)
次に2である。これは浅野のみを有罪とし、吉良を無罪としたのは司法権力たる幕府なのだから、それに異議申し立てをするなら、幕府宛だし、暴力を用いるなら幕府に反乱を起こすのが筋である、という意見だ(処断そのものへの不満という意味でも、事実関係を明らかにする時間を取る前に拙速に裁定を下したという意味でもだ)。ちなみにこれは独創的な視点でも何でもなく、同時代の儒学者である太宰春台(荻生徂徠の弟子)も類似の見解を示しており、言い換えれば当時としてもそれなりに根拠のある評価だと思うがどうだろうか?
ことほどさように、赤穂事件にはかなり疑問点や不可解な点も多く、それを「仇討ち」として喧嘩両成敗のイデオロギーに則り再構成したのが忠臣蔵だと言えるだろう。このように、複雑な現実を何らかの思想のもとに単純化することとその訴求力は、宗教や陰謀論、偽史にも見られるものであり、その意味で忠臣蔵とその流行は興味深い研究対象の一つと言えるだろう(仇討ちすべしという「世間」の目や、赤穂浪士たちの処遇に関する世論、あるいら仇討ちに参加しなかった人々の社会的冷遇まで視野に入れると、メディアリテラシーやポピュリズムなど、今日の社会にもつながる話だ)。
【余談】
以前清水克彦の「喧嘩両成敗の誕生」の紹介に絡めて、笑われたから子供を斬り殺したという中世の出来事に触れた。孤児でなければ復讐してくれる人間もいただろうに、と加害者の付添人がいったという話だが、「自力救済」とはこういうことも含めた社会通念である。
忠臣蔵(侮辱されたから切りつけた)を称揚されている方々は、このような振る舞いも同時に肯定されるのだろうか?でなければ、それはただのダブルスタンダードになると思うのだが。
まあ赤穂事件の評価には「判官びいき」なども関連はしてくるのだろうが、一度そこから距離をとって、「なぜそのように感じるのか?」をよくよく考えてみると、短絡的な感情論や動員のロジックから抜け出るきっかけを得られるのではないだろうか?
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