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個人の(戦闘)能力は、犯行の方法に関わる重大な問題であり、単に罪編以降の戦闘シーンだけに関係しているわけではない。そこを意識しながら、以下の記事を読んでもらいたい。
皆殺し編においては、圭一たちの戦闘力があまりに現実離れしていることが批判の対象となった。これを受けてと思われるが、祭編では「山狗」の戦闘能力がそれほど大したものでないのを示すとともに、ガチの戦闘は赤坂や富竹、葛西に任せ、圭一たちは裏山の地の利とトラップを利用した戦いを展開する、という内容になっている。
そういう意味で、あくまで皆編に比べればだが、祭編の戦闘シーンでオイオイと思う度合は少なくなっているように思う(羽入がいることとかはもっと根本的な問題だし)。あとは時を止めるなどの能力が「そんなのもありか」と妥協することができれば、おおむね受け入れられる内容だろう。
なーんて言うと思ったかハゲが!!そのくらいで承認するほど俺は甘くねえよ。なるほど魅音の指導力等は百歩譲って認めてもいい、しかし例えば、沙都子のトラップに関する知識等は到底受け入れることのできるものではない。なぜあの歳の沙都子がベトコンのトラップに精通しているのだろうか?常に辛い環境にいた上に悪戯をする癖があった沙都子に、トラップの解説などが載っている本が買い与えられた可能性は極めて低い(テレビで戦争シーンを見る機会はあっただろうが、そこにトラップの描写が含まれていたかは非常に疑わしい)。とすれば自分で開発したことになるが、それこそオイオイちょっと待てよという感じである。その上「特殊部隊からトラップの指導を受けたいと言われた」だ?ちゃんちゃらおかしい。へそで茶が沸くわ!!
また圭一に関しても、明らかにおかしい点がある。思い出してほしいのだが、圭一は運動能力に関してはいたって平凡で(祟編のモノローグ参照)、しかも塾で勉強づけの生活をしていた。そんな彼が雛身沢に引っ越してきたのは一ヶ月前。果たして、たった一ヶ月で運動能力のある少年に成長することなどあるだろうか?もし少しでもスポーツをやったことのある人なら、即座に否と答えるだろう。であれば、たとえ「山狗」が戦闘用の人間達でなくても、大人であり、基礎訓練は行っている時点で、圭一より絶対的に優位だと結論せざるをえない。つまりは、祭編で多少の理由付けをしようとも、皆編の戦闘シーンがあり得ないものであるのは動かぬ事実なのだ。
このくらいで終わると思ったらまだまだ甘い。実はレナに関しても同じことが言えるのだ。罪編における屋根の上でのシーンを思い出してほしい。レナはそこで圭一と戦うわけだが、この時覚醒した状態にあったことに注意を喚起したい。とすればレナは、さっき述べたような能力しか持たない圭一と、覚醒してようやくほぼ互角というレベルにしかないのである。そんなレナと圭一の戦いに見とれる人たちは、よほどハイレベルな戦いに縁がなかったのだろう(悪笑)ついでに言えばその程度のレナに日常ヤラれてる魅音もまたそれほど大したレベルとは思えないのだが、まあ彼女は罪編に到るまで修羅場での戦いのシーンがなかったため、「実は強かった」という説明に対して妥協するのも不可能ではない。
まあこんなところか。さて次の記事では、祭編で入ってきた新要素「大人の戦闘力」について考えてみよう。(続)
※画像の著作権は7th Expansionに属します。
皆殺し編においては、圭一たちの戦闘力があまりに現実離れしていることが批判の対象となった。これを受けてと思われるが、祭編では「山狗」の戦闘能力がそれほど大したものでないのを示すとともに、ガチの戦闘は赤坂や富竹、葛西に任せ、圭一たちは裏山の地の利とトラップを利用した戦いを展開する、という内容になっている。
そういう意味で、あくまで皆編に比べればだが、祭編の戦闘シーンでオイオイと思う度合は少なくなっているように思う(羽入がいることとかはもっと根本的な問題だし)。あとは時を止めるなどの能力が「そんなのもありか」と妥協することができれば、おおむね受け入れられる内容だろう。
なーんて言うと思ったかハゲが!!そのくらいで承認するほど俺は甘くねえよ。なるほど魅音の指導力等は百歩譲って認めてもいい、しかし例えば、沙都子のトラップに関する知識等は到底受け入れることのできるものではない。なぜあの歳の沙都子がベトコンのトラップに精通しているのだろうか?常に辛い環境にいた上に悪戯をする癖があった沙都子に、トラップの解説などが載っている本が買い与えられた可能性は極めて低い(テレビで戦争シーンを見る機会はあっただろうが、そこにトラップの描写が含まれていたかは非常に疑わしい)。とすれば自分で開発したことになるが、それこそオイオイちょっと待てよという感じである。その上「特殊部隊からトラップの指導を受けたいと言われた」だ?ちゃんちゃらおかしい。へそで茶が沸くわ!!
また圭一に関しても、明らかにおかしい点がある。思い出してほしいのだが、圭一は運動能力に関してはいたって平凡で(祟編のモノローグ参照)、しかも塾で勉強づけの生活をしていた。そんな彼が雛身沢に引っ越してきたのは一ヶ月前。果たして、たった一ヶ月で運動能力のある少年に成長することなどあるだろうか?もし少しでもスポーツをやったことのある人なら、即座に否と答えるだろう。であれば、たとえ「山狗」が戦闘用の人間達でなくても、大人であり、基礎訓練は行っている時点で、圭一より絶対的に優位だと結論せざるをえない。つまりは、祭編で多少の理由付けをしようとも、皆編の戦闘シーンがあり得ないものであるのは動かぬ事実なのだ。
このくらいで終わると思ったらまだまだ甘い。実はレナに関しても同じことが言えるのだ。罪編における屋根の上でのシーンを思い出してほしい。レナはそこで圭一と戦うわけだが、この時覚醒した状態にあったことに注意を喚起したい。とすればレナは、さっき述べたような能力しか持たない圭一と、覚醒してようやくほぼ互角というレベルにしかないのである。そんなレナと圭一の戦いに見とれる人たちは、よほどハイレベルな戦いに縁がなかったのだろう(悪笑)ついでに言えばその程度のレナに日常ヤラれてる魅音もまたそれほど大したレベルとは思えないのだが、まあ彼女は罪編に到るまで修羅場での戦いのシーンがなかったため、「実は強かった」という説明に対して妥協するのも不可能ではない。
まあこんなところか。さて次の記事では、祭編で入ってきた新要素「大人の戦闘力」について考えてみよう。(続)
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