先日、シェイクスピアの作品があれほど賞賛される理由がわからない、と書いた。この機会にと再度読み返してみて、その思いを新たにした。たとえば「リチャード3世」のリチャード3世や「ヴェニスの商人」のシャイロックを見ると、私は「俗情との結託」という言葉をどうしても連想してしまう(まあ当時の一般民衆の認識に通暁しているわけではないが)。つまり、当時の政権の宿敵や差別されていたユダヤ人を極端に俗悪な人間とした描き方に対して、私は何の感銘も受けないのである(それは時代劇の「越後屋」的なテンプレに感銘を受けないのと同じである)。もし仮に悪人の描き方が堂に入っているということで今日のようにシェイクスピアが賞賛を受けるのなら、それと同じ程度に「闇金ウシジマくん」なども評価されるべきではないか、と思う。
とはいえ、チェーホフの「ワーニャおじさん」や「桜の園」などを見て、いかにも身近にいそうな生き生きとした人物造形と、その背後にある時代の潮流を巧みに反映させる手腕に感心したことがある。これはシェイクスピア作品に対する世間の評価にも通ずるところがあるように思える。とするならば、私のシェイクスピア作品に対する疑問は、(私にしてみれば)その高すぎる評価に対するものであると考えた方がよいのかもしれない。
一体どの点がシェイクスピアを傑出した作家と評価するポイントになっているのか、ぜひ教えを乞いたいものである。
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