あ~んもうオリゼータンが可愛すぎてしょうがねえ!なんだか柔らかそうだから、ついほっぺをぷにぷにしてやりたくなるぜ!
という感じのフライングマンですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
「キャラの魅力と人物配置」を書いて以来、「ゴスロリ女同人倍増計画」のようなゴスロリ女関連を除けばほとんどもやしもんに言及できていませんでしたが、ようやくゴスロリ女の話を真正面から書く準備ができたので、それに合わせてもやしもんの多様な魅力について多少掘り下げて書いていければと思っています。
もやしもんの楽しみ方は様々あると思いますが、主なものを簡単にまとめれば
(1)人間関係(の描写)
(2)農や菌関係のお話
(3)菌のかわいさ
の三つになると考えています。ただ、これは各々が独立しているという意味ではもちろんなく、三要素への注目度に関する割合の違いが楽しみ方の違いであると認識しています。これについて示唆的なのはアニメ版の描き方で、漫画と比べて(2)が抑えられる代わりに(3)が大きくクローズアップされています(余談ですが、漫画においても樹教授の蘊蓄はあえて吹き出し一杯かつ不完全に描かれることで、興味がない人はネタとして読み飛ばしても気にならず、逆に蘊蓄系や解釈が好きな人は読み込みたくなる秀逸な演出がなされています。あるいはこのような感性・気配り[?]が、理屈偏重への批判として祭りと喜びの姿を前面に押し出したオクトーバーフェストへと繋がっているようにも思われます)。動きや流れがより重視されるアニメの特徴(かつ、もやしもんは11話構成でタイト)を考えれば、それを停滞させかねない学術・蘊蓄系の話を抑えつつ、かわいらしい声をあてて菌をどんどん動かしていく演出は必然的なものだったと言えるでしょう。
まあそれはともかく。
ここでは(3)について述べたいのですが、読者の中には「菌の実像が歪曲して伝わってしまうのではないか」と批判的な意見を持つ人もいると思います(アニメ版の「菌劇場」で実際に顕微鏡で見た姿がわざわざ出てくるのは、そういう反応を受けて、もしくは見越してのことでしょう)。確かに、例えば極端な話ですが、この作品の描写を受けて「青カビはかわいらしいから、いい存在に違いない」などという論理破綻した認識をされてしまうのは害悪であり、特にそちらの方面に造詣の深い方にとっては許し難いことでしょう。私はその危惧や憤りを否定するつもりはありません。しかしそれでも、かわいらしい菌の描写が魅力の一つであるだけでなく重要な意味を持っていると私が思うのは、「ストレス~不快なものへの態度~」でも述べたように、今日特に不快なもへの拒絶反応が極端なものになっていきていると認識しているからに他なりません。よく日本人はきれい好きだと言われますが、菌=何か汚らしいものという誤ったイメージを持っている人は少なからず存在しているのではないでしょうか。しかもそれは、おそらく強い生理的嫌悪感であったり、逆に漠然としたものであるがゆえに、中身の正しさが問われることは少ないと考えられます(極端な潔癖さについては「宗教と思索」の※2でも触れていますが、それはより大きく言えば不快なるものの病的な忌避ということになります。それはまた、「矮小化に苛立ちて」で触れた純粋培養の害悪とも繋がります)。
これを解消するための一つの方法は、例えば自分の皮膚にも細菌がたくさんいるといった現実を知るなど正しい知識を身につけることでしょうし、もやしもんの菌の描写に批判的な人はそういうアプローチを推奨するのではないかと思われます。確かに、それは理想かもしれません。しかし、先に述べたように生理的嫌悪感で菌はダメだ、なんとなくイヤだという人たちが、菌のことを地道に勉強しようとするでしょうか?また百歩譲って勉強の結果知識を身に付けたとしても、それで不快感は消えるものでしょうか?はっきり言って、私は非常に疑わしいと思っています(そういう行動を取ってくれる人はむしろ希有でありがたい存在ぐらいに認識しておいた方がいいのでは?)。
もしこの認識がある程度妥当性をもつなら、菌のかわいらしさがクローズアップされたもやしもんに触れることで、「結果として」菌への(ことによっては病的な)生理的嫌悪感が薄まるなら、まずはそれで良しとすべきなのではないでしょうか。そこからもし、菌の事について色々知りたい、調べてみたいという人が出てくれば御の字なのではないかと。特に生理的なものに関わる領域というのは、最初から正しさを求めて事実と断絶したままにするより、少しでもきっかけを提示するような仕組みにした方がいいと思うのです(まあ本音を言うと、こういう発言って危ない側面もあるのであまりしたくないのですがw)
以上のような理由から、もやしもんにおける菌のかわいらしさというのは、単に作品の魅力であるだけなく、重要な意味を持ちうると考えています。
ああ、それにしても。俺もオリゼーぬいぐるみほしいなあ…
という感じのフライングマンですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
「キャラの魅力と人物配置」を書いて以来、「ゴスロリ女同人倍増計画」のようなゴスロリ女関連を除けばほとんどもやしもんに言及できていませんでしたが、ようやくゴスロリ女の話を真正面から書く準備ができたので、それに合わせてもやしもんの多様な魅力について多少掘り下げて書いていければと思っています。
もやしもんの楽しみ方は様々あると思いますが、主なものを簡単にまとめれば
(1)人間関係(の描写)
(2)農や菌関係のお話
(3)菌のかわいさ
の三つになると考えています。ただ、これは各々が独立しているという意味ではもちろんなく、三要素への注目度に関する割合の違いが楽しみ方の違いであると認識しています。これについて示唆的なのはアニメ版の描き方で、漫画と比べて(2)が抑えられる代わりに(3)が大きくクローズアップされています(余談ですが、漫画においても樹教授の蘊蓄はあえて吹き出し一杯かつ不完全に描かれることで、興味がない人はネタとして読み飛ばしても気にならず、逆に蘊蓄系や解釈が好きな人は読み込みたくなる秀逸な演出がなされています。あるいはこのような感性・気配り[?]が、理屈偏重への批判として祭りと喜びの姿を前面に押し出したオクトーバーフェストへと繋がっているようにも思われます)。動きや流れがより重視されるアニメの特徴(かつ、もやしもんは11話構成でタイト)を考えれば、それを停滞させかねない学術・蘊蓄系の話を抑えつつ、かわいらしい声をあてて菌をどんどん動かしていく演出は必然的なものだったと言えるでしょう。
まあそれはともかく。
ここでは(3)について述べたいのですが、読者の中には「菌の実像が歪曲して伝わってしまうのではないか」と批判的な意見を持つ人もいると思います(アニメ版の「菌劇場」で実際に顕微鏡で見た姿がわざわざ出てくるのは、そういう反応を受けて、もしくは見越してのことでしょう)。確かに、例えば極端な話ですが、この作品の描写を受けて「青カビはかわいらしいから、いい存在に違いない」などという論理破綻した認識をされてしまうのは害悪であり、特にそちらの方面に造詣の深い方にとっては許し難いことでしょう。私はその危惧や憤りを否定するつもりはありません。しかしそれでも、かわいらしい菌の描写が魅力の一つであるだけでなく重要な意味を持っていると私が思うのは、「ストレス~不快なものへの態度~」でも述べたように、今日特に不快なもへの拒絶反応が極端なものになっていきていると認識しているからに他なりません。よく日本人はきれい好きだと言われますが、菌=何か汚らしいものという誤ったイメージを持っている人は少なからず存在しているのではないでしょうか。しかもそれは、おそらく強い生理的嫌悪感であったり、逆に漠然としたものであるがゆえに、中身の正しさが問われることは少ないと考えられます(極端な潔癖さについては「宗教と思索」の※2でも触れていますが、それはより大きく言えば不快なるものの病的な忌避ということになります。それはまた、「矮小化に苛立ちて」で触れた純粋培養の害悪とも繋がります)。
これを解消するための一つの方法は、例えば自分の皮膚にも細菌がたくさんいるといった現実を知るなど正しい知識を身につけることでしょうし、もやしもんの菌の描写に批判的な人はそういうアプローチを推奨するのではないかと思われます。確かに、それは理想かもしれません。しかし、先に述べたように生理的嫌悪感で菌はダメだ、なんとなくイヤだという人たちが、菌のことを地道に勉強しようとするでしょうか?また百歩譲って勉強の結果知識を身に付けたとしても、それで不快感は消えるものでしょうか?はっきり言って、私は非常に疑わしいと思っています(そういう行動を取ってくれる人はむしろ希有でありがたい存在ぐらいに認識しておいた方がいいのでは?)。
もしこの認識がある程度妥当性をもつなら、菌のかわいらしさがクローズアップされたもやしもんに触れることで、「結果として」菌への(ことによっては病的な)生理的嫌悪感が薄まるなら、まずはそれで良しとすべきなのではないでしょうか。そこからもし、菌の事について色々知りたい、調べてみたいという人が出てくれば御の字なのではないかと。特に生理的なものに関わる領域というのは、最初から正しさを求めて事実と断絶したままにするより、少しでもきっかけを提示するような仕組みにした方がいいと思うのです(まあ本音を言うと、こういう発言って危ない側面もあるのであまりしたくないのですがw)
以上のような理由から、もやしもんにおける菌のかわいらしさというのは、単に作品の魅力であるだけなく、重要な意味を持ちうると考えています。
ああ、それにしても。俺もオリゼーぬいぐるみほしいなあ…
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