ジャニーズ、マスメディア、旧日本軍:日本的組織の黄昏

2023-10-11 16:26:37 | 歴史系
 
 
 
 
ジャニーズ問題に限らずよく書くことではあるが、善-悪を設定してとにかく叩きに走るのではなく、構造を把握して問題点を理解し、適切な評価・批判をしていくことが重要である。そして今回冒頭の動画で述べられているのは、ジャニーズ問題を大きくした要因の一つは、「情緒的一体感の創出」にあるのではないか、ということだ。
 
 
このように表現すると抽象的に感じられるかもしれないが、これはジャニー喜多川を擁護した山下某第4のスカルノの発言に見られるた理屈にもならない感情的発言を見れば、十分ではないかと思われる。あるいはより最近のもので言えば、ジャニーズ取材歴の長い山田美保子が10/2の会見の運営方法ついて述べたことに関し、そもそも取材する側とされる側が一体になったような意識でいるのがおかしいと指摘した記事があるが、こういう人々がジャニーズ事務所の周りを固め、そうしてメディア関係者に食い込んでいるジャニーズに対し、同じメディアの人間は横のつながりに気を遣ったり売上面を気にして忖度を繰り返す、という「情緒的紐帯の巨大な連鎖」とでも呼ぶべき構造が存在していたものと思われる(→「ジャニーズ問題とマスメディアの隠蔽構造を悪魔化しないために」などを参照)。
 
 
このような構造は、松谷創一郎がvideonewsに出演した時の記事でも触れたように、『タテ社会の人間関係』・『心でっかちな日本人』・『空気の研究』・『日本人の法意識』などで解析されてきたが、問題の大きさという点でいえば『日本海軍はなぜ過ったか』をぜひ一読していただきたい。
 
 
これは副題「海軍反省会400時間の証言より」にもあるように旧日本海軍関係者だけが(マスメディア関係者を入れずに)集まった座談会の録音テープが残されており、その内容について『滄海よ眠れ』や『妻たちのニ・二六』を書いた澤地久枝、『日本の一番長い日』や『ノモンハンの夏』を書いた半藤一利、『証言録 海軍反省会』を書き呉市の大和ミュージアム館長の戸髙一成の3名が鼎談した本である。
 
 
詳細は中身を読んでいただきたいが、とにかく驚愕するのは、あっけらかんとした罪悪感の欠落や、あの惨禍を経てなお保身に走る人々、あるいは「勝てると思っていた」などの楽観的発言をする人たちの姿である。もちろん、「あれには強く反対したのに止められなかった!悔しい!!」と感情を露わにして涙を流す人々たちもいたし、中には鋭い視点や反省もあったようだ。しかし結局それも、集団の中で議論されるうちに組織という被膜の中で丸め込まれていった。それは必ずしもトップダウンの体系的・論理的なものではなく、組織内での派閥争いや、何となく同じ組織の人間を批判するのは憚られるという情緒的な紐帯も多分に関係していた(ここはジャニーズ事務所とはおそらく違うところだが、ニ・二六事件などに見られるように、この時期になるとトップが旗振りして云々というよりはむしろ、青年将校などが独断専行で動き出し、その勢いに組織も引きずられていくという現象がまま見られた)。そしてこういった組織の特性に関し、記録を残していないために検証がなされず、誤った知識が流布され、結局同じことが繰り返されていくのである。
 
 
以上のような組織の病理と、その中での振る舞い方を見るにつけ、今回のジャニーズ問題や大手マスメディアの姿ともダブって見えるのは私だけではないだろう。本書の終盤で半藤が「歴史学は人間学だ」と述べているがまさしくその通りで、逆にこの視点なき歴史の学びなど、AI隆盛の昨今では単なる道楽の謗りを免れえない。
 
 
私はジャニーズ問題を扱う際に先の大戦の話を度々持ち出すが、それはあの大戦の教訓と真摯に向き合うなら日本組織の構造理解とその対策は必須であるし、それにもかかわらず「善ー悪」の問題に落とし込み、あるいは戦争の犠牲者を過剰に物語化してそこにスポットを当てたことが、今なお日本において驚くべき組織の腐敗がこれほど広範に見られる要因だと思うし、それはすなわち日本社会があの大戦からの学びに失敗したことを示しているように思うのである。
 
 
なお、最後に付言しておくが、「そのような傾向は戦後日本になって徐々に薄れており、それにより少しづつ解消されていくのではないか?」と考える人もいるかもしれないが、私は全くそう思わない。その根拠の一つが、以前にも紹介した『先生、どうか皆の前でほめないで下さい いい子症候群の若者たち』である。
 
 
単純化して述べれば、以下のような具合だ。経済衰退と少子高齢化で未来に希望もないため、リスクヘッジマインドは旺盛になる。かつ価値観は多様化・複雑化しているにもかかわらず、(学校の仕組みが前と同じなので)昔と変わらない「空気」読みが求められて、さらに他者からの承認が得にくいため、自己肯定感も低くなる。そしてその結果、とにかく出る杭になりたくない若年層が相当数いる状況が今も続いているのである(正確に言うと、昭和の頃であれば、共通前提と強い同調圧力があったがゆえに、そこへの強い反発をバネにして出る杭になろうとする人間も一定数いた。しかしもはや共通前提の崩壊で足元が液状化しているためバネにすべき地面すら定まっておらず、ゆえにどこかしがみつけるものにとにかく寄りかかる、という行動パターンが表面化するのではないかと思われる)。
 
 
この見立てがある程度妥当なら、今再び噴出している日本組織の悪弊が改善する見込みはほぼ無いと言っていい。日本的組織の病理が明らかになって巨大な組織すら絶対ではないことが示されるほど、ますますその若年層の世界理解は不安定になり、むしろ一層しがみつける場所を探し、共犯たることすら進んで選択するかもしれない。
 
 
ある程度聡い人もいるという反論もあるだろうし、それは間違っていないが、そういう人たちは「ファスト教養」的なメンタリティを元に、システムを知って自分が他者を上手く出し抜こうとはするが、決してシステムそのものを変える=社会変化に貢献することへ労力を使おうとはしないと思われる(これについては、「なぜ革命が起きないのか?若者や氷河期世代が大人しくしている理由」などを参照)。
 
 
というわけで、日本的組織の病理がいまだ広範に見られることと、さらにそれは短期的・全面的に変わることは若年層の傾向から言ってもありえなそうであることを指摘しつつ、この稿を終えたい。

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