昨日、遠州灘近くにある横須賀街道を初めて訪問した。
そこでは、商工会や建築士やアーティストが参画した町並み文化展なるものが開催されていたからだ。
ふだんはひと気がまばらな街道だが、この日ばかりは続々と人並みが途切れないのだった。

旧街道らしい家屋が散在していて、背景としては恵まれているかもしれない。
しかし、所々は空き家があったり、空き地があったり、日本のどこでも見られるような空虚さが漂っている。
そんな現状を変えようとするまちづくりの活動が12年も続いているのがここである。

活力あるまちを実現する上で、アーティストの果たす役割が大きい。
来場者が参画できるコーナーはいつも人だかりができる。
まちづくりには孤高のアーティストではなく、平場の目線で非日常性をえぐる参加型アートが決め手かも知れない。

過疎に生きる我々としては、この文化展から学ぶものはなんだろうかと、しきりに考えてみるのだが妙案が出てこない。
ただし、なんとかしようとする人的ネットワークの存在がまずはスタートにはちがいない。
背伸びをしないゆったりとした遊び心の粋が感じられる文化展だった。
そこでは、商工会や建築士やアーティストが参画した町並み文化展なるものが開催されていたからだ。
ふだんはひと気がまばらな街道だが、この日ばかりは続々と人並みが途切れないのだった。

旧街道らしい家屋が散在していて、背景としては恵まれているかもしれない。
しかし、所々は空き家があったり、空き地があったり、日本のどこでも見られるような空虚さが漂っている。
そんな現状を変えようとするまちづくりの活動が12年も続いているのがここである。

活力あるまちを実現する上で、アーティストの果たす役割が大きい。
来場者が参画できるコーナーはいつも人だかりができる。
まちづくりには孤高のアーティストではなく、平場の目線で非日常性をえぐる参加型アートが決め手かも知れない。

過疎に生きる我々としては、この文化展から学ぶものはなんだろうかと、しきりに考えてみるのだが妙案が出てこない。
ただし、なんとかしようとする人的ネットワークの存在がまずはスタートにはちがいない。
背伸びをしないゆったりとした遊び心の粋が感じられる文化展だった。