山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

寺には初代米国公使館跡があった

2012-05-15 10:06:15 | 歴史・文化財
 寺の境内には初代米国公使館跡の石碑があった。
 下田の総領事ハリスが日米通商条約により初代公使として江戸にのり込んだというわけだ。(1859年~1871年)
 ハリスはペリーと同じく「力と誇示と示威こそが交渉を成功させる手段」だとする辣腕の砲艦外交家であることは知られていない。

                 

 したがって、水戸浪士が公使館の一部を焼き討ちする(1863年)理由もあながち全否定はできない。
 当時の不平等条約の片鱗は、現在の沖縄に象徴される日米地位協定にも脈々と継続されている。
 東洋人に対する米国の植民地主義はいまだ生きている気がしてならない。

              

 しかし、敵をも礼賛する日本人のことだから、石碑を建ててしまう。
 ハリスの彫刻は朝倉文夫、スポンサーは三井物産創設の益田孝と王子製紙初代社長の藤原銀次郎。
 この日も歴史探訪ツアーで30人近い人が訪れていた。
 きっと、うわべだけの説明で納得させられるのだろう。
 
コメント
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