「春野山の村」の宿泊棟の1軒をまるまるアトリエにしている地元の彫刻家木下琢朗(キシタタクロウ)の作品が昨夜のコンサート会場に展示されていた。
木彫なのにそれを感じさせないきめ細かな太古の生き物。

会場の壁には「神経細胞」のようなものが吊るされていた。
また、一つ一つ木を削って作った天の川もどきが貼ってあった。
来場者が魔女のように口からそれを発散させたようにポーズをとっていたのが愉快。

廊下の手洗い場には小船が配置され、寝室には森のフクロウもどきが目を光らす。
会場のあちこちに木の素材と格闘した木下さんのまなざしが鎮座する。

コンサート会場正面には杉の焚き木がピラミットのように積み上げられる。
その積みかたにも妥協を許さない細心の思い入れが込められている。
みずからが育った山里が疲弊してきている現状を鑿一本で開削しようと奮闘する若きアーティストの心意気に共感する。
鑿で木を削っていく一つ一つの行為が時代を変えることにつながるのか、それで生活という日常性に埋没しないのか、日本の原風景を葬ってきた近代日本の瓦解過程に何を投じることになるのか。
そんななか、きょうも彼は懸命に木を削り、磨く基本動作を止めない。
それはどこか、百姓が金にもならない農作業で、鍬で土くれを耕す風景とダブって見える。
木彫なのにそれを感じさせないきめ細かな太古の生き物。


会場の壁には「神経細胞」のようなものが吊るされていた。
また、一つ一つ木を削って作った天の川もどきが貼ってあった。
来場者が魔女のように口からそれを発散させたようにポーズをとっていたのが愉快。


廊下の手洗い場には小船が配置され、寝室には森のフクロウもどきが目を光らす。
会場のあちこちに木の素材と格闘した木下さんのまなざしが鎮座する。

コンサート会場正面には杉の焚き木がピラミットのように積み上げられる。
その積みかたにも妥協を許さない細心の思い入れが込められている。
みずからが育った山里が疲弊してきている現状を鑿一本で開削しようと奮闘する若きアーティストの心意気に共感する。
鑿で木を削っていく一つ一つの行為が時代を変えることにつながるのか、それで生活という日常性に埋没しないのか、日本の原風景を葬ってきた近代日本の瓦解過程に何を投じることになるのか。
そんななか、きょうも彼は懸命に木を削り、磨く基本動作を止めない。
それはどこか、百姓が金にもならない農作業で、鍬で土くれを耕す風景とダブって見える。