とある病院に行ったときのこと、待ち時間の暇をもてあそんでいてなんとなく壁を見たら、目立たない壁に「自由」を見た。
三日月の陶片だけを貼ったものだった。
今まで何回か来たことがあるのに、気がつかないでいた。
そこには海があった。
そこにはいろんな魚が泳いでいた。
そこには、クラゲもいて、クジラらしき大きな魚もゆったり泳いでいた。
病院というやや閉鎖的な空間でありながら、この空間は自由を満喫しているかのようなのだ。
反対側の壁には空があった。
海の上なのだろうか、山の上なのだろうか、やや大きめの鳥が羽ばたいている。
自己主張をできるだけ抑えたジャポニズムがさらりときらめく。
作者の魂はこの閉鎖空間をとっくに抜け出して駆け巡る。
それを鑑賞している人はいない。
オイラもそうだったように、気がつかないくらいひかえめなのだ。
暮らしの中のアートって、こういうものなのかもしれない。
三日月の陶片だけを貼ったものだった。
今まで何回か来たことがあるのに、気がつかないでいた。
そこには海があった。
そこにはいろんな魚が泳いでいた。
そこには、クラゲもいて、クジラらしき大きな魚もゆったり泳いでいた。
病院というやや閉鎖的な空間でありながら、この空間は自由を満喫しているかのようなのだ。
反対側の壁には空があった。
海の上なのだろうか、山の上なのだろうか、やや大きめの鳥が羽ばたいている。
自己主張をできるだけ抑えたジャポニズムがさらりときらめく。
作者の魂はこの閉鎖空間をとっくに抜け出して駆け巡る。
それを鑑賞している人はいない。
オイラもそうだったように、気がつかないくらいひかえめなのだ。
暮らしの中のアートって、こういうものなのかもしれない。