市井の隠居から渡された課題図書は宮崎駿・漫画版の『風の谷のナウシカ』全7巻(徳間書店、2001年5月)だった。アニメ「風の谷のナウシカ」との違いにも関心があったが、どうも漫画版のほうが歯ごたえある内容のように思えた。
「ナウシカ」とは、宮崎駿によればギリシャの叙事詩「オデュッセイア」に登場する王女の名だそうだ。それに、今昔物語の自由奔放な「虫を愛でる姫君」がミックスしたのが「風の谷のナウシカ」なのだという。
「世俗的な幸福よりも自然とたわむれる感性」を持って、「習慣とタブーに充満した」社会に抗して、「不吉な血まみれの男の中に光輝く何かを見い出」していくのが「ナウシカ」なのだ、と宮崎氏はいう。
「かつて栄えた巨大産業文明の群は 時の闇の彼方へと姿を消し、地上は有毒の瘴気を発する 巨大菌類の森・腐海に 覆われていた。」というのが、背景だ。まるで、原発事故を予想していたかのような描写だった。
王国どおしの殺伐たる戦乱は、殺戮が常態化している今日の中東情勢に似ている。人間の救いようのない愚かな行為を弾劾してやまない宮崎ワールド。この絶望の迷宮に読者も入り込んでしまう。得体の分からぬおどろおどろしい生き物・植物の登場もそうだ。
そうしたとき宗教はどんな役割を果たしたというのだろうか。「僧会は人民に何をして来たのだ 虚無をはびこらせただけなのか」と提起している。 現実の世界は宗教そのものが戦争の尖兵とさえなっている。
人間の敵に見えた、巨大なダンゴムシのようなオームは「人間が汚したこの星をきれいにする為にオームは創られ」、「人間が世界の調和を崩すと森は大きな犠牲を払ってそれをとりもど」すということを種明かしする。ナウシカにとっても「森の人」は最終的な心のよりどころでもあった。
最終章では、「いのちは闇の中のまたたく光だ」ということを導き出す。そのいのちとは、人間だけではなく森も生き物も同じであることを繰り返し強調してやまない。漫画『風の谷のナウシカ』は、自然と人間との共存の在り方を問う難解な哲学書でもあった。突然出てくる登場人物や部族の関係性がわかりにくいがアニメではかなり削除している。漫画版ナウシカを知ってしまうと、ディズニーや他社のアニメはじつにもの足りない。