国立アーカイブスにお蔵入りだった映画「ひろしま」がETVで放映された。関川英雄監督、1953年に公開。原爆の惨状をできるだけ伝えようと製作は日教組。そのため、被爆者自身もエキストラに参加するとともに、88000人が市民ぐるみで出演。被爆者と被爆地のセットもリアリティーあふれる傑作となった。前年の1952年に新藤兼人監督の「原爆の子」が公開されたばかりだった。当初は一緒にやる予定だったが新藤はドラマ仕掛けにこだわった。(画像はウィキペディアから)
出演は往年の名優がごっそり配置され、とくに松竹の看板女優・月丘夢路はノーギャラで参画した。それに岡田英次・山田五十鈴・加藤嘉・薄田研二・花沢徳衛などのなつかしい名優も好演していた。また、まわりの音楽・撮影・美術・助監督にも一流の布陣が引かれた。しかしながら、公開直前、大手の配給会社が反米的という理由で上映を拒否された。また、日教組がかかわっていることで目に見えない圧力があったようだ。そのため、自主上映で公開することになるが、いつしか幻のお蔵入りとなる。
しかしながら、祖父がこの映画の助監督をやっていたという小林一平・開親子が上映復活運動を始める。フィルムはかなり劣化していたが、ハリウッドの会社からデジタル化の支援があり、今回のETV放映につながっていく。日本からの支援ではないのが残念きわまるが、敗戦後と今との政治的状況は本質的には変っていないのを痛感する。むしろ現代のほうが政治的劣化が著しい。じわじわと愚民化政策が工作されてきた結果が「いま」なのだ。
香港のように立ち上がる学生は日本から見事に放逐された。あれだけ話題になった日大アメフト・パワハラ問題も曖昧にされ責任逃れの当局が大勝利した。日大学生はひたすら沈黙を堅持した。大手マスメディアも「囲い込み」されてしまった。歴史から学ばない日本は、開戦・植民地化の加害責任を問われないまま「いま」を迎えている。韓国や中国からの声はすべて正しいとは言わないが、日本は戦争の被害者だったと責任転嫁し自らの加害責任を不問にして「いま」を迎えた。
そういう意味で、波瀾万丈の歴史を経た映画「ひろしま」はここで世界に向かって核廃絶を発信することになった。しかし日本はその被害をバネに世界に向かっていまだ指導力を発揮できていない。日本全体が日大学生になってしまったのだ。トランプ大統領になって核兵器拡大路線がいよいよ始まってしまった。アメリカの核について国連は口をつぐんでアメリカに経済封鎖も起こせない。そんなとき、この映画の存在価値が再び輝くように思う。