山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

混迷と混乱の脱出口はどこに…

2021-10-19 20:08:39 | 読書

 気鋭の政治学者、佐伯啓思(ケイシ)『現代日本のリベラリズム』( 講談社、1996.4)を読んだ。戦後生まれの佐伯氏にとっての戦後の評価は、「進歩的知識人」の単純な決めつけによる影響が社会的・思想的混乱を深くしたと断罪する。日本の野党や左翼の伸び悩みや弱点はどうもそういう理論的な構築の脆弱さにあるようだ。つまり、権力を握った自民党の社会や人間に対するリアリズム・懐疑の確かさに軍配を上げ、そこから批判的に学ぶことがあるのではないかと思える。

   

 その代表と目される丸山真男を例に取り上げ、批判の矢を容赦なく放っている。丸山真男と言えば、戦前の検束・兵役体験を含め天皇制や戦時ファシズム体制を理論的に解明していった日本を代表する政治学者だ。数十年前、病院の待合室で長く待たされたのをチャンスに氏の本を読んだことがある。その明快な切れ味と表現力の的確さに感動した記憶がある。ある意味で、佐伯氏に似た明晰な説得力を見出したのだった。

    

 丸山人脈には、門下生の江田五月・藤原弘達・坂本義和をはじめ吉野源三郎・武田泰淳・埴谷雄高・竹内好・鶴見俊輔など錚々たる戦後の論壇を形成した交友がいる。しかしながら、佐伯氏はその思想的欠陥は欧米のリベラルデモクラシーと日本の天皇制・官僚主導型経済・企業中心型集団主義を対立軸とする単純な構図を描いてしまったことにあるという。それが戦後の論壇の混迷と混乱を誘い、いまだその迷路から抜け出せていないというわけだ。

   

 追い打ちをかけるように、80年代の「新自由主義」、つまりグローバリズムと新産業主義の侵攻は格差を生み出し現在に至っている。それを佐伯氏は90年代に予告している。この分析の的確さはとても30年前の著作とは思えないほど鮮やかな現在を語っている。「近代社会の困難は、社会の基底にあるはずの、…共感や人格を、むしろずたずたに引き裂くことを進歩とみなした点にある」と進歩主義・改革への懐疑を語る。

   

 きょうから衆議院議員選挙が公示され、まさに経済成長か分配かの論点が問われているが、この「新自由主義」をめぐる論戦の真価が問われているとも言える。佐伯氏は、日本と世界の混濁の突破口として従来の「伝統・歴史・国家・コミュニティ」という「シビックリベラリズム」を基にした思索と行動を提起している。

 このへんは、西部邁氏の門下生らしさが見受けられるが、もう少し具体的な例示などによる紙数が必要だ。欧米のリベラルデモクラシーの歴史・実態の危うさを衝き、それを理想と崇めてはいけないと釘を挿したように思える。だから、混迷の突破口の薬はないというわけだ。それはひとり一人の静謐な思索と行動しかないと受け止めた。

 

コメント
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