近くでギンナンを拾う。意外にも近隣の人はあまり拾わないようだ。それだけ、徳川の上様のいた静岡は裕福だったからだろうか。わが家は縄文経済なので採集は基本的な生活手段なのだ。見方を換えれば自然の恵みは大切にするというのが基本的スタンス。
さっそく、手でにおいの強い果肉を取り去る。そのやり方はいろいろあるようだが、今までは使い捨てビニール手袋をはめて種子をバケツの水を張りながら果肉を揉むようにして取り去っていった。今回は素手でやってみた。しかし、手の皮が剥がれていくような気がした。おかげでツルツルの肌にはなったが、皮が剥けていったようだ。教訓、やっぱり手袋が必要だ。
イチョウは中国から鎌倉時代以降に伝来したらしい。江戸に入ってからは神社やお寺を中心に植栽されていったようだ。絶滅しかけたイチョウを広めていった日本の役割は意外に知られていない。シーボルトの前に来日した医師・ケンペルがイチョウをヨーロッパに紹介する。それは園芸がブームだった日本の植栽技術が世界的にも優れていたという背景もうかがわれる。
というわけで、毎朝の食卓にギンナンの恵みが参入するようになった。食べ過ぎに注意しなくちゃね。