僕の彼女はサイボーグ
2008年/日本
‘サイボーグ’とは誰なのか?
総合
0点
ストーリー
0点
キャスト
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演出
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ビジュアル
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音楽
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序盤の‘彼女’の‘サイボーグ振り’を見て、これはよっぽど高性能のサイボーグなのかあるいは演出の失敗なのかひやひやしながら観ていたが、監督に上手く騙されたということが最後に分かった。
日本人の監督だったらプロデューサーに許してもらえなくても、クァク・ジェヨン監督だから許されているような演出があり、その好き嫌いははっきり分かれるのではないのだろうか? 未来から‘彼女’が来る時の「ターミネーター」ネタや、未来に帰る時の「バック・トゥー・ザ・フューチャー」ネタなど要所は押さえていると思う。
一番の見所であるはずのクライマックスでのジローとサイボーグの‘彼女’の気持ちが通じ合うシーンに説得力が欠ける理由は、未来から来た‘彼女’がその東京の大震災を知らないはずがなく、大震災が起こる前に何故ジローを避難させなかったのか理解できないからである。
勿論ラヴコメディにそのような厳密さを求めるのは野暮ではあるのだろう。だから私はブルース・リーやエルビス・プレスリーも高性能のサイボーグ扱いされている2133年の未来からやって来た人にとっては今の私たちの感情の表現の仕方はサイボーグのような紋切り型(ステレオタイプ)に見えてしまうという皮肉を高く評価したいと思う。
幸せになるための27のドレス
2006年/アメリカ
ブライド・‘メイド’
総合
80点
ストーリー
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キャスト
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演出
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ビジュアル
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音楽
0点
脚本は『プラダを着た悪魔』と同じアライン・ブロッシュ・マッケンナによって書かれている。『プラダを着た悪魔』は仕事から逃れて人間味を取り戻す女性の物語であったが、この『幸せになるための27のドレス』は‘理想’から逃れて人間味を取り戻す女性の物語と言えるだろう。
主人公のジェーン・ニコルズは女性の‘おたく’のような印象である。あの27のドレスもジェーンの‘コスチューム・プレー’のような感じであるし、ケヴィン・ドイルが新聞で連載している「理想の結婚」を切り抜いてまでして読んでいて、とにかく現実を回避しながら理想だけを追い求めているため、なかなか交際や結婚までには至らない。そのようなジェーンを目覚めさせるのが、ジェーンがそのように積極的になりたいと思っていた彼女の妹であるテスのジェーンを理想の女性と見做しているという告白や、結婚したいほど憧れていた彼女の上司であるジョージと実際にキスをしても全く何も感じなかったことや、「理想の結婚」を書いている現実主義者ケヴィンの存在である。ジェーンが現実に揉まれながら少しずつ‘大人’になっていく様子が上手く描かれていると思う。
チャーリー・ウィルソンズ・ウォー
2007年/アメリカ
不明瞭な意図
総合
20点
ストーリー
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キャスト
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演出
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ビジュアル
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音楽
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テレビで見たこの作品の予告から私はこの映画をコメディだと思って観に行ったのだが、コメディ映画ではなかった。正確に言うならばコメディ映画にしようとしたけれどもそうならなかった映画である。確かにチャーリー・ウィルソンという実在する下院議員はコメディ映画のキャラクターに相応しい人物なのではあろう。しかし作品の題材は戦争の加担である。およそ議員らしからぬ親しみやすい人柄によって内容のシリアスさを弱めようとするために様々なギャグを取り入れてはいるのだが、ことごとくスベっているし、その演出の仕方が古いような気もする。
何故これを映画にしようとしたのだろうか? シネスコで撮られなかった理由は当時のテレビ映像を使うためだろうから、チャーリー・ウィルソンという人物を描きたかったのであるのならばテレビドラマで十分だったはずである。これを映画にしたのは世界に向けてアメリカが自己批判をしようとしたのかもしれないが、当時の政権がしたことという‘言い分け’をしたかったようにも感じられる。チャーリー・ウィルソンが軍事予算を最終的に10億ドルも取れたのに何故僅かな教育予算が取れなかったのかこの作品を観た限りでは納得できない。本当に彼にはここで描かれているような人望があったのかさえ怪しくなってくる。つまりこの作品のジャンルと同様にこの作品の制作意図も不明瞭なのだ。
ラスベガスをぶっつぶせ
2008年/アメリカ
‘優秀さ’について
総合
70点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
私は以前『最高の人生の見つけ方』という邦題の映画を観に行って結局‘最高の人生の見つけ方’を見つけられなかった苦い想い出があるのだが、この『ラスベガスをぶっつぶせ』という邦題のタイトルから私はMITの優秀な学生によって次々とカジノがつぶされていく痛快でスリリングなゲームシーン満載の作品だと思って観に行ったのだがゲームシーンに関しては全く盛り上がりがなかった。
観終わった後に、原題を確認したところ『21』ということで納得できた。この数字は、カードの合計点数が21点を超えることなく、できるだけ高い点数を得ることを競う‘ブラックジャック’と呼ばれるトランプを利用したカジノゲームを指すと同時に主人公であるベン・キャンベルの年齢も表しているのである。つまりこの作品はサスペンスフルな映画ではなく青春映画として観るべきだったのである。
ニュートンなど過去の偉人たちの‘剽窃’の例を挙げながら、‘優秀’とは何なのかと考えさせられた。間違いなく主人公のベン・キャンベルは優秀であるのだが、その‘結果’はミッキー・ローザ教授や「ロボットコンテスト」で優勝する2人の親友たちに持っていかれてしまうのである。その教授でさえ最後はカジノのガードマンに好きなように利用されるのだからますます分からなくなる。ひとつ言えることは優秀な人間は目立たないように心がけるはずである。
年金税方式、未納問題解決に利点なし…国民会議の素案(読売新聞) - goo ニュース
今後日本の年金制度をどのようにするべきかは、できるだけ不公平にならない
ために細かな制度を作らなければならないだろう。今でもよく分からない制度が
いっそう分からなくなるということである。一番問題だと思われるのは納付期間が
25年に一日でも満たなければ年金がもらえないどころか、それまで払っていた
お金も返してもらえないことだ。明らかに“ぼったくり”である。年金の記入漏れの
問題に関して、たとえ訂正されたとしても本来の正しい額の年金がもらえるように
なるまで1年半も時間がかかることをご存知だろうか? 後期高齢者医療制度
の保険料の天引き同様、とにかく取るときは素早いのに支払うことになると途端に
仕事が雑になる。