MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

本当に得をしている人は?

2008-08-16 12:14:26 | Weblog

菊地彩香、プリクラ原因でAKB48を解雇(サンケイスポーツ) - goo ニュース

 AKB48は活動を開始してからけっこう時が経っていると思うのだが、いまだに

ヒット曲はない有様だし、メンバーの中から有名人は出てきていない。私はまだ

モーニング娘。のメンバーの名前は何人か言えるがAKB48のメンバーの名前は

全く思いつかない。もしかしたら今回の件で菊池彩香が初めて世間的に“メジャー”

になったのではないのだろうか?(それでも大した“メジャー”ではないが。) しかし

“メジャー”になった時点で解雇されるとはなんとも皮肉な話ではないだろうか?

青春を犠牲にしてまでAKB48に拘る必要はないような気がする。菊池彩香は解雇

されたほうがラッキーだったのでは


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『ベガスの恋に勝つルール』 90点

2008-08-16 01:21:19 | goo映画レビュー

ベガスの恋に勝つルール

2008年/アメリカ

ネタバレ

‘ジャック’の魅惑

総合★★★★☆ 90

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 さすがにキャメロン・ディアスは‘ラブコメディの女王’と謳われるだけあって演技の巧みさには感心させられた。脚本もよく出来ていて大いに笑えるのだが、結局東洋の男というのはつまらないというイメージがあるらしいことが分かり、残念ではあるのだが反論のしようがない。
 エンドロール後のシーンについて説明しておきたい。ジャックがいなくなった後、彼の弁護士と友人が取り残されているシーンで、その友人が弁護士を遊びに誘うのであるが、弁護士は「ジャックがいないのであるならば君と付き合うことはしない」と言ってどこかへ行ってしまう。思い返してみればこの作品は‘ジャック’がキーワードになっている。主人公の名前は勿論であるが、ジャックがジョイと暮らすことになったきっかけはスロットマシーンの‘ジャックポット(=Jackpot)’という大当たりであったし、パーティでジャックがジョイの上司に気に入られたきっかけもジャックが言ったきつい冗談に対して上司が言った‘ジャック・アウト(=ジャック、出て行け!/マスかき男)’だった。つまりこの作品は‘ジャック’を‘ジョイ(=楽しむ)’する物語なのである。


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『ダークナイト』 100点

2008-08-16 00:21:54 | goo映画レビュー

ダークナイト

2008年/アメリカ

ネタバレ

匿名性について

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 この作品がどのような観点から高く評価されているのかがよく分からない。今までのバットマン映画のように娯楽作品としてみるならば、この作品は明らかに物理的に逸脱している。どのようにしてジョーカーがあのような巨大な総合病院を木端微塵にするだけの爆発物を短時間で仕掛けることができたのか理解できない。バットマンの特異な才能は技術開発によるという理由があるが、ジョーカーにはその説明がないままで普通ではありえないことを次々と引き起こすため、客観的に見ればバットマンに勝ち目は全くない。陸軍の応援を要請する必要がある。
 だからこの作品は娯楽作品である以上に、人間の善悪の限界をぎりぎりまで推し量る観念的な作品なのだと思う。そこで問題となるのはジョーカーが絶えず知りたがる「バットマンは誰なのか?」という‘匿名性’である。何故バットマンがブルース・ウェインと本名を名乗ってジョーカーと闘わないのであろうか? もしブルースが本名で闘うならば、彼はハーベイ・デントと同じような罠にはまってしまうのであろう。つまり本名は善か悪かどちらかをはっきりさせなければならなくなる。バットマンという‘匿名性’はその善悪をとりあえず‘宙吊り’にしておくことができる。それでなければラストで悪を引き受けることはできない。何故ならハーベイ・デントと同じように正義の名の下に悪(=戦争)を犯してしまい、運の名の下に人生を放棄してしまうことになるからである。たぶん‘匿名性’とは孤独のことである。
 あくまでもこの作品はそのようなアートシアター系の映画によく見られる‘観念論’として高く評価されるべきだと思う。

 本作について興味深いエッセイを書いている人を見つけたのでここにその一部を引用しておきたい(「映画『ダークナイト』に唸る」 福田和也の闘う時評 週刊新潮 9月4日号 P.116-117)。
 「(・・・)そのドラマトゥルギーは、人間の世界の深淵を徹底的に抉っている。『バットマン』という、アメリカン・コミックのある種のキワモノを、シェークスピア級の悲劇にしてしまったのですから凄いことです。演出のキレ味は、まさしく妖刀村正。細かいカットを重ねながらきちんと観客に情報の文脈を把握させつつ、そこで生み出された文脈を片端から崩してゆく。その性急さは、しかし、けして混乱を招くことはありません。獲得された認識が、即座につき崩され、別な位相が再構築され、再び崩されるという、いわゆるドンデン返しにつぐドンデン返しの連鎖は、現在の演出家で最高水準でしょう。活劇の深度を共存できる演出家といえば、クリント・イーストウッドということになると思いますが、クリストファー・ノーランは凝縮力については数段勝っていると思います。(・・・)」
 私も本作品を満点にはしているが、シェークスピアの作品にこのような破綻したドラマトゥルギーの作品があるのかどうか寡聞にして知らない。福田和也氏は文藝評論家なのでおそらく存在するのであろう。それはともかくこの文章の意味の無さには驚かされる。具体的な例を挙げて説明をしなければ、似たような作品にも監督名を取り替えただけで同じ文章で褒め称えることができてしまうくらいに内容が空疎である。福田氏はクリシェという言葉の意味を十分に理解しているはずであるが、この‘時評’のいい加減さは彼が教えている学生にも示しがつかないのではないのだろうか?


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