(500)日のサマー
2009年/アメリカ
ギャグの宝庫
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
この作品のテーマはいたってシンプルなものだと思う。この‘ボーイ・ミーツ・ガール’の物語において主導権はいつもトムではなくてサマーにある。つまり男性は全ての出会いを運命的なものだと思い込むのであるが、ある男女の出会いが運命的なものなのか、そうでないのか決めるのはいつも女性の方なのだ。だからラストのオータムもしばらく逡巡してからトムとの出会いの方を運命的なものにしたのである。
それにしてもネタが満載の作品である。トムは最初グリーティングカードを制作する仕事についていたが、やがてカードに書かれていることの虚しさを思い知り建築家を志すことになる。つまり書かれている内容よりも、その内容を決める構造の方を問題にする仕事に変えるということは脚本家に‘モダンからポストモダン’という問題意識があることは間違いない。
トムがカラオケでザ・クラッシュ(The Clash)の「トレイン・イン・ヴェイン(Train in Vain =虚しい列車)」を歌った後に実際にトムが列車に乗るシーンを繋げたのも、その後のトムの行く末を暗示させているはずである。
結局、サマーはザ・スミス(The Smiths)の曲をきっかけに付き合うようになったトムではなくて、小説『ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray)』をきっかけに付き合うようになった男性と結婚する。つまりザ・スミスのヴォーカリストで性癖の曖昧なモリッシー(Morrissey)よりも、『ドリアン・グレイの肖像』の作者でバイセクシャルであるオスカー・ワイルド(Oscar Wilde)を選んだというのも計算されたギャグだと思う。もっとサブカルチャーに詳しければもっと楽しめたと思えて残念でならない。他に私が把握できたギャグはトムとサマーが一緒にいる時に、トムがジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)のアルバムジャケット『Unknown Pleasures(測り知れない快楽)』のTシャツを着ていたことくらいで、見逃してしまったギャグがたくさんあったように思う。
「40人学級」見直し 少人数教育へ上限下げ 30年ぶり(産経新聞) - goo ニュース
鈴木寛文部科学副大臣は「教育現場は複雑な問題を抱えており、きめ細やかな
少人数指導が必要だ。有識者や現場の意見を聞き、今年夏までに一定の結論を
得たい」と語ったそうであるが、絶対に嘘だと思う。昔から教育現場は複雑な問題を
抱えていたはずだし、昔からきめ細やかな少人数指導が必要だったはずである。
つまり「40人学級」を見直す理由はただ単に生徒が減少し、教師が余るために
余った教師のための“仕事場”の確保でしかない。結局教育制度というものは生徒
のためではなく教師のためのものであるということは今後も変わらないのであろう。