原題:『Bloodshot』
監督:デヴィッド・S・F・ウィルソン
脚本:ジェフ・ワドロウ/エリック・ハイセラー
撮影:ジャック・ジューフレ
出演:ヴィン・ディーゼル/エイザ・ゴンザレス/サム・ヒューアン/トビー・ケベル
2020年/アメリカ
作品前半と後半のストーリーのグダグダ感の違いについて
終始ストーリーがグダグダのように感じるのだが、作品前半と後半を分けて判断するべきだと思う。
前半において主人公のアメリカ海兵隊員のレイ・ギャリソンの行動は血液にナナイトと呼ばれるマイクロボットを注入され超人的な力と体の回復能力を手に入れ人体改造で甦り、殺された妻のジーナの復讐というプログラムにより行動させられているが、レイ本人は主体的に行動しているように思っている。ところがやがてレイはジーナ本人と再会するのだが、ジーナとは5年前に別れており、彼女には夫と2人の子供がいたのである。
つまりレイはRST(Rising Spirit Tech)と呼ばれる、大怪我をしたアメリカ軍人たちをサイボーグ化する研究所の所長のエミール・ハーティングに操られていたのである。だから作品前半のストーリーのグダグダ感はレイに埋め込まれた「質の悪い記憶」として理解できるのであるが、後半は違う。
同僚のKTがハーティングたちがレイからナナイトを抜く作業をしている途中で介入してくる理由がよく分からないし、最後になってハーティングが片腕に装着している、KTが呼吸ができなくなる装置が機能しなくなる原因もよく分からない。何よりもハーティングを道連れに自爆したレイが生き返ることも納得がいかなかった。あれほどの爆破であるならばレイの体は粉々になっているはずだからである。
映像そのものは素晴らしいだけに後半のストーリーの雑な感じが惜しい。