原題:『雨の中の慾情』
監督:片山慎三
脚本:片山慎三/大江崇允
撮影:池田直矢
出演:成田凌/中村映里子/森田剛/足立智充/中西柚貴/松浦祐也/竹中直人
2024年/日本・台湾
「反戦映画」における性欲のあり方について
明らかに日本ではないような場所に住み着く主人公で売れない漫画家の義男は大家の尾弥次の依頼で、自称小説家の伊守とともに引っ越しの手伝いに駆り出された先で運命の女性である福子と出会い、トラブルに巻き込まれた伊守と福子が義男の家に転がり込んでくるという物語の展開は、突然戦場場面に切り替わり、そこで義男は左腕と右足を失った状態でベッドに横たわっている。伊守は義男と同じ部隊の兵士で、福子は地元の売春宿における義男の相手だった。
つまり漫画家としての義男は義男の夢なのであるが、義男の夢は、冒頭の雨宿りの場面は上手く行ったものの(もっともこの時義男が背後から「打って」いた女に義男は「撃たれた」のであるが)義男の思い通りにはならない。福子は伊守の愛人だったし、伊守は絢爛豪華な豪邸を所有しているのである。何故義男本人の夢が義男の思い通りにならないのか勘案するならば、本人の思い通りにいかないからこそ愛がより強靭となり、慾情が生じるからなのである。だから本作は戦争と愛はベクトルが正反対なだけで実質同じものなのだと指摘しているのである。恐ろしい話である。