寮管理人の呟き

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近江八幡市の男山八幡宮に参拝する(後編)

2011年03月05日 | 
男山八幡宮の雪を被った凛々しい神馬。筋肉美を生々しく表現したブロンズ像にしばし見とれた。

男山八幡宮の由緒

 伝承は『当町の先祖は蒲生郡九之里村(注1)に居住し金剛寺町若宮神社の氏子であったが、慶長以前に蒲生野の原野開墾の目的により七戸が移住してきた。そのため産土神と仰ぐ若宮神社の例祭には、毎年当町の若者が出仕するのを例として明治初年まで守り続けられてきたが、いつしか其の姿を見ることなく男山八幡宮の祭祀を重んずるに至った』と伝えている。当神社の創建について社伝には『正明寺の西隣に一祀堂あり古より産土神として崇敬してきたが明治五年に布告された(氏子調べ)を契機に現在地に移し再建した。御祭神は応神天皇にて、明治六年十月山城之国石清水八幡宮(注2)より御分霊を勧請し同九年男山八幡宮として列格された。小宮殿には天満宮と津島神社を安置している。一祀堂趾には愛宕大神を奉斎して現在に至る』と記されている。

寺の由緒を黙読して弊殿に歩を進める。元旦に年神様をお迎えするために門松を飾る風習をすっかり忘れていた自分に気づく。「旅の目的は日本再発見と言えるかもしれん。長光寺町から長い雪道を歩いて来た甲斐があった」と思いありがたい気持ちになった。

男山八幡宮弊殿


著者注1:現・近江八幡市金剛寺町
著者注2:所在地は京都府八幡市八幡高坊30

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